「いい人」の肩にかかる重荷 清水由紀子さんの死に思う

清水由紀子さんは「いい人」だったという。
性格が真面目で、ひたむきで、自分より
他人のことを先に考える人だという。

妹さんがいた。
二人でお母さんを介護していたという。

家を某市に購入。
喜んだ母親。
これからだという時に、母親が2006年10月、首を骨折、
介護は大変になった。
そして
その二年後の8月、また肋骨骨折。
清水さんの母親は、
食事も排泄も自分でできなくなった。
介護はますます大変になった。

そして、その八ヶ月後、
頑張り屋さんだった清水さんは、
父親のお墓の前で自ら命を絶つ。
車椅子の母親もいた。
母親は命をとりとめたというが、
いったいどんな状況だったのだろうか。

なんという悲劇だろう。

そんな昨日、
そして今日

プロジェリアのアシュリー

が亡くなっていたと知らされた。
まだ17歳のアシュリーだったが、
彼女のドキュメンタリーで泣かなかったことがない。

人間の意識の原点に引き戻されるアシュリーの生き方。
どんな意味のある言葉も、立派な哲学もかすんでしまう
アシュリーの生き方と語った言葉は、
あまりにも尊い
聖女のような子だった。

いい子。
アシュリーはいい子だった。

いい子であっても、アシュリーの老化は
他人の十倍であることを逃れられない。

清水さんはどうか。
「いい人」だったかもしれないが、
他人に心を開くことはできていなかったかもしれない。

頑張り屋さんだからこそ、
最後まで引き受けようと決心していたんだろうと
思うからこそ、

何かが

プツン!

と切れてしまうようなことでも
あったんじゃないだろうかと思う。

だけど、
他人に心を開くなんて、私にはできそうにない。

・・・・でもないか。

結構、言いたいこと言ってるみたいだし。
なんのかんのいいながら、
理解者はいるのかも。

まあ・・・・

「いい人」じゃないからな。


でも、友達からは
いい人だと言われてる。

いい人、悪い人というのって微妙だな・・・・

自分に相手してくれりゃ、いい人というのもあるからね。

キャバ嬢のような対応を
職場の女性に求める社員がいた話も聞く。
自分の都合に合わない女性は、「悪い」女性になるんだろう。

良い悪いも様々に意味を変えるものだ。


清水さんは他人にとっては、思いやりのある、
いい人だったかもしれないけれど、
彼女自身にとっては、いい人ではなかったと思う。

もっと自分を大切にできなかったのだろうか。
自分が幸福でなければ、家族全員幸福ではありえないものだよと言いたい。

もしかして
「私がいなければダメだわ」
とか、思っていたのかな。

人は背負うべきものを背負えばいいのであって、
背負わなくてもいいものを背負う必要はないんだよ。

無理がある時、
背負いすぎてるか、
逃げてるか、
怠惰に流されているか、
なのかもしれない。

他人の目にうつる自分のために生きるのはばかげている。

日常、それは尺度になるけれども。

日常が日常でいられない時まで、
尺度にする必要はない。

でもそれが当たり前になってしまっていたとしたら・・・・
きっと、救いはないんだろう。
残念である。

ほら。

裸で生まれて、裸で死んでゆく。

聖書のどこだったかな、
有名な句がある。ヨブ記だったかな。

いざとなれば、パパッと裸になっちゃうけどな。
私なんて、簡単に。

結構、このキャラが友達に笑われるわけだが(苦笑)
清水さんほど、プライドはなさそうだな、我ながら・・・・・

草ナギさんのように反抗して?捕まるほど泥酔もしないけど。

疲れたら、休もうネッ(^^♪

介護中の方にお茶だよーん

( ^^)_旦~