「いい人」の肩にかかる重荷 その(2)

とはいえ・・・・・
介護は疲れ果てるの一言である。

実家の母親が父親を介護していた時に、疲れがたまって、怒りやすかったり、
不安定なことを口にしたりして、
一時的におかしくなっていた。

清水由紀子さんの自殺で、
それを間接的に思い出したのだ。

いい人、悪い人ということを言っているレベルの話ではない。

過ぎたこととようやく体調も戻って、
体重も増えてきた母親が、
次は自分の番だと言って、
いろいろと準備をしている。

それじゃあ人生楽しくないでしょ、と言っても、
「あら♪ 楽しいよ♪」
と答える母親。
実際、楽しそうなのだ。

そうなると、つい
考えてしまうのは、
母親の最後は誰が看るんだろう?
ということ。

いざとなれば、私・・・・?

兄がはりきってるから、安心してるんだけど、
あらためて考えると、どうなんだろう・・・・・?

本当に他人事ではない。


清水さん親子を見たことのある知人がいたが、
まだお母様が歩ける頃のことで、
周囲が気付きそうな中、
芸能人であることを知られたくなさそうな
おずおずとした様子?(というか、本来そういうキャラ?)
の由紀子さんだったという。
もうずっと昔のことだ。

今は行かなくなった某公園。

この間久々に訪れたが、
平日だというのに、人が結構歩いていたな。

家族のために家を買った清水さん。
お母様の具合がよくて、
清水さんの気持ちに余裕があったなら、
きっと今の季節、散歩されていたかもしれないと、
公園を、ゆったり笑顔で散歩している
清水さん家族を想像しながら、
静かに彼女の冥福を祈った。

芸能人。

芸能人はワガママだ。
チヤホヤされることに慣れている。
だが、

清水さんは、もっとワガママであっても
良かったのではないのか。

恋なんて、
出会いなんて、
気持ちの持ちようで簡単なことなのに、
出会いを求めていなかった?
それとも出会っていたけど、それどころではなかった?

介護。

介護にまつわる哀しい話はいくつもある。

両親とも病気がちで、自分も病院通いであるとかでお金がないとかで、狂いそうな心境であるとか、
ぼけてしまった親が亡くなり、自分もぼけはじめてしまったとか、
知人のお姉さんが、嫁ぎ先で、4年世話をした姑が亡くなったのだが、
ほどなくしてお姉さんも過労で突然死したとか・・・・。

こういう話は時々あるそうだ。

無理をしている自分に気付かず、
頑張りと忍耐である程度やり遂げるのだが、

どこかで

ブツッ

と切れることはあるのだ。

誰でも。

希望のない未来への悲観からか、
溜まりに溜まった疲労からか、
徒労感と虚しさからか、
無力感からか、

一日のうち、何分でもいいから、
充実した時間が持てたなら、

一ヶ月の何日かが楽しい時間が持てたなら
きっと違っていたかもと思うけど、
違うかな?

清水さん?

さようなら。