禅林寺(三鷹市)の紫陽花(あじさい)

イメージ 1

あじさいは日本原産なのだそうだ。
どこの家の庭にもありそうなあじさい。

いく色かに表情を変えるあじさいは、
今の季節、珍しいわけでもなく、
見慣れた梅雨時の見慣れた風景として、
毎年無意識に更新されている。

ふと、訪れた三鷹禅林寺

あじさいは、この寺にあっては、
日常の風景とは違った趣で咲いているように見えた。

雨こそ降っていなかったが、緑はどの季節よりも深く感じる。

年期の入った木々と広い庭。
あじさいは、よく旅に出かけたお寺や神社に咲くそれらの表情と似ていた。

これは小さな旅だ・・・・そう感じた。


毎年、今時になると旅心が疼くのは、
梅雨時の深い緑色が見たくなるせいだ。
前日もしくは数日前に思いつく、
突然の旅への欲求。

時間はなんとかなる。
ていうか、つくる。

あとはお金と体力。

オトクきっぷのない時期に、なぜ旅がしたくなるのか・・・・。

それでも、やりたいことを実行した時、
それは胸の奥深く
消えない生涯の記憶の一つとなる。

いくつかの心に残る思い出があるけれど、
それは、そのまま
植物や建物や食べた物の思い出である。

で・・・・

お金と体力の問題で、
遠出はできませぬゆえ、
今年は近場といたしましょう(^.^)

ていうか・・・・

前もって、予定してたわけですが(笑)
近所に住む知人もいまして、
このお寺近くには、

ガスト

があります。
三鷹駅から歩き疲れても、おなか空いても大丈夫☆

ふと立ち寄ったふうに書いた方が風情があると思ったけど、

嘘ダヨーン♪


それに、
現実は歩き疲れたというのが実感だったし。
感じたことはホント。
ああ、山にゆきたいよ~

太宰治の桜桃忌に出かけてきたんだけど、
お墓より樹木などの植物が気になった。
藤だなもあったような気がする。

いい季節だ。

毎年、今頃、深い山の緑を見に行きたくなる自分の気持ちが、
我ながらよくわかる禅林寺の墓地だった。

「桜桃忌」検索すれば、いっぱい画像は出てくる。

話は変わるが、

神社と寺の特集の雑誌を買った。

書店でたまたま手に取った雑誌のインテリアが気に入って
ずっと見ていたいと思ったら、
買ってしまうけど、

PEN

もそうだ。

ミラノ・サローネの特集

なんて、
んもー
見ているだけで満足するのだ。
p,128グリーンのヴィトラというスタッキング・チェアなんて欲しいよ!
九月発売か、原宿で買えるぞぃ☆

ニルス・ホルガー・モーアマン作


足をザイルで巻いた木の椅子とテーブルがいい。
南ドイツの山麓で家具ブランドを立ち上げてる山男?らしい。
選者のラルフ・ヴィーグマン氏も素敵(*^.^*)

ソウルには、

プラダトランスフォーマー

なる
20メートルの建物?がお目見え。
古宮の一つの敷地にできたそう。
4月25日から五ヶ月間期間限定パビリオンだそうで、
「ナンジャコリャー!」な変身する四面体らしいです。
ぁ、円もある・・・・
展覧会と映画上映ニ使われ、
プラダコールハースが主催。
見たいとは・・・・思わないけど(ボソ)

あららら・・・・かなり寄り道。

そうであった。

この号、特集は「神社とは何か? お寺とは何か?」の特集。

それで買ったワケじゃあないんだけど、
懐かしいお寺や神社がいくつかあった。

神社もお寺もごちゃごちゃな日本。
その歴史が知りたくて、少しずつ、本を読んでいるけど、
怪しい本もある(笑)

だから、古い学者さんの本て、
読みづらいけど貴重かも。
でも出来れば、まとめたものが読みたい。

だけど結局、
人間、昔も今もあまり変わらない。

他力に依存する人も多いし、
権威や権力のために宗教利用したり、
宗教に求めるものは現世利益だったりして、

変わらないなあ・・・・

怖い内的世界、救いようのない世界いっぱい見てきて、
今思うこと。

結局は、
今、現実世界において
縁のある人間たちとの間で起きたこと、
感じたこと、
そこから見てゆくことの重要さがあると思う。

振り出しに戻って考えること。


どうしようもない時、それに振り回されず、脇に置くことはとても大切。
だって、いずれは嫌でも元の場所に戻るのだから。

空回りだけは避けたいよなあ・・・・。


お互い助け合っている、
お互い迷惑かけあってる、
お互い誤解しあってるのが
ニンゲンなんだろうけど。

また、太宰の愛人との心中のように
人間というもののおかす
様々な、
理屈で割り切れない行為に、
この世の興味深さも尽きないけれど・・・・。

お寺や神社で、もはや本当に人間が救われるとは思えない。


そこにある樹木や草花を味わったりして、ワタシは救われるが・・・・。


昨日は桜桃忌。

太宰が、愛人と心中して、遺体が見つかった日が6月19日。
奇しくも彼の誕生日だった。

生誕100年。


太宰治森鴎外と向き合って眠っていた。

(画像は禅林寺の植物)