“思想への尊敬心は捨てよ” 1969年 司馬遼太郎が語る日本

もうごちゃごちゃなんだあ☆
なにがって?
読んでるものがでございます。

エロい宗教「立川流」のことは、日本の歴史のなかでどう発展しようとしたのか
絡んだ人々の動機や時代の雰囲気を捉えてゆきたいし、

廃仏毀釈修験道はどうなったのかとか思うし、

フロイト関連はその後どーなのよ、とも思うし、

とにかく歴史だよ、歴史を知りたいというか、
感じたいのだと思うし、
あーーーーーー!!!

我ながら、とりとめなさすぎ~~(>m<;ゞ


さて~まず

司馬遼太郎はあえて読もうとしていなかったが、
それは司馬を読んでわかったつもりになるのがイヤだから。

もういいだろうと思い、最近解禁したよ。

●「司馬遼太郎が語る日本」未公開講演録愛蔵版Ⅴ 朝日新聞社1999年刊

イデオロギーはフィクションであり、捨てた方がいいと
1969年に司馬さんが46歳の時語っている。

遅れてきた“目からウロコ☆


1969年 11月28日の講演録より 題は「歴史と人生」場所は東宝劇場

p.146-p.154まで、9ページにまとめられた活字の題は

「うその思想」

である。


今では現世の理想の家族のモデル
みたいになっちゃってる天皇家も、
明治時代以前は神主さんの親玉だったという。

『政治はなさらないし、浮き世のことは、いっさいなさらない』(p,148)

尊き地位なのだ。

室町時代もそこかしこが焼け野原になっても、
御所だけは残ったというくらい、
争い事と無縁だというか、
尊いというか、空気なのか(司馬氏の言)

ところがである。

明治政府は国民に近代国家造りをさせるためにも、
当時空気のような天皇を、奈良時代のある時期以後つくことのなかった
皇帝の地位につけたんである。

国民を掌握するために、
水戸学(尊皇攘夷朱子学水戸藩が日本化したもの)の

天皇に味方するのが正義、天皇に反対した者は悪人

というシンプルな皇国史観で国民を教育する。

司馬氏はこれを

『非常に曲がったといいますか、つくりあげられたフィクション』(p.150)

だと語る。

司馬遼太郎の結論。

イデオロギーも宗教も観念で、
・観念はうそであり(フィクション)であり、
・思想(宗教含む)は理解して始まるのでなく、信じるところから始まる、
マルキシズムも同じ。
尊王攘夷は理屈の大建築
・思想への尊敬心は捨てた方がいい。


さて、第二次大戦で日本が負けると、
80年に及ぶ嘘の時代が、
あっさりめくれて終わった。

日本国民は

夢でも見てたのかしら~

な気分だったことだろう。
司馬氏はこのはがれた嘘という思想を

重苦しい漬け物石

というわかりやすい表現をする。

『うそで一つの国家をつくったり、うそで社会をつくったり、社会の統一を維持したり、社会の安寧を維持したりするためには、思想の取り締まりをやらなければいけない。尊王攘夷に反対するような学者はひっくくらなきゃいけない。ですからイデオロギーを国家が持っていると非常に苦しいですね』(p.151)


明治から大戦後まで、
日本国民は
非常に重苦しい漬け物石を頭に乗せられていたというのだ。
なるほどなあ・・・。

イデオロギーは人間を幸福にしない。

日本人を守るための戦争をしていながら、
戦車隊の司馬氏が、
大混雑する道で逃げまどう日本人が
邪魔になったらどうすればいいか質問したら、

「轢き殺していけ」

大本営にいわれびっくりしたそうだ。

『それが、当時の日本が持っていたイデオロギーというものであります。』(p.147)


イデオロギーのためには人を殺すことは正義である。

イデオロギーのなかでは、「正義」とは、
時に凶悪な犯罪が奨励される。

ネット上で、
何らかの思想、宗教を言論の基盤にして
活動している人を見かけたら、
司馬氏の考えをフィルターにして見てみると
新しく見えてくるものがありそうで興味深い・・・・・・。


宋の朱子が完成にまで高めた朱子学は、
日本には室町時代に日本に伝わり、
教養時代の江戸時代に庶民の間にも浸透。

尊王攘夷の思想はスローガンとなって徳川幕府を倒す。


そして重苦しい時代を日本国民は長く強いられることになった。
明治から戦後まで。
(注:尊王攘夷思想は、外国を排除する思想であり、その思想で幕府を倒しながら、
実際は外国とつきあうことをしていた。
なのに、国民の思想統一には尊王攘夷を使っていた・・・
本来かなり明治政府はおかしいことをしている)

そして戦後24年の1969年


戦前は右翼
戦後はマルキシズム
という人がいた。

司馬氏はこういう人を
アルコール中毒(依存症)」と同じであると見る。

うーん・・・現在から見るとかなり過激ではあると思うが、
今から40年前の当時は、決して過激には見えなかったことだろう。

「時代」

という文脈を背景とした、的確な洞察と
深い歴史知識と批判とエネルギーがある。
きびきびとした印象の講演だったであろうと想像する。

さて、司馬氏の言を続けると。

思想で体質的に酩酊できる人間とそうでない人間がいる。
酩酊できる人間は、
思想や宗教をちょっとかじっただけで酩酊し、
一種の集団ヒステリーのように
走り回れる人がいると、
彼は言う。

『それは人間の体質であって、思想のよしあしではないと思うのですが、』(p.154)


この1969年の講演の三年後
(正確には二年と三ヶ月後)

あさま山荘事件

が起きるのだが、
この人の本が読めるようになって、
ようやく意味が見えてきつつあるというか・・・。

映画が制作され話題になった時期、
興味も起きなかった。
自分の日常に関連を見い出せなければ
通り過ぎる過去の事件だった。

むしろ同時期のビートルズの歴史の方に惹かれる。
男前なマネージャーにとくに。
これまでならこうだった(笑)

だが、

年をとってゆくということは、

多くの人々にとって

懐かしい人々が消え、
懐かしい思い出の場所が変わってゆき、
自分のアイディンティティを「形」に求めることが
空しくなってゆくことだと知ることでもあるだろう。

どこにそれを求めればいいのか。
そう考えた時、
世代や性差や
立場を越えてお互いに共有できるものは

歴史

ではないかと思うに至るのではないだろうか。

司馬遼太郎氏の遺した多くの言葉・・・・・
まだちょっとしか触れてないのに、
そういう思いが喚起されるというのは、

司馬遼太郎ってすごいよ

というのは、
こういうことだったのかなと思ってみたりする。


最後にこう司馬氏はまとめる。

思想への尊敬心は捨てた方が

『幸福かどうか知りませんけれども、少なくとも思想からの災害を受けずにすむのではないか』(p.154)


今から40年前の講演録、だが慧眼としか言えない。
思想なんて捨てた方がいいというのはすごい発想である。

強く生きなくちゃね☆



【補足】

司馬氏は「思想を捨てたほうがいい」とは言っていても、
個人的な思想はアリだとは言ってるよ~^^;
(個人の安心立命のためには必要だと)


(何度も加筆修正しました。ごめんなさい)