対話について考えることは「悪」の道に踏み込むことである

●「悪の対話術」福田和也著 講談社現代新書 2000年刊

対話を考えることは、悪の道に踏み込むこと──福田和也さんはそう言うが(p.7)
どういうことなんだろうか。

まず方法が先に述べられる。

『会話というものをいかに巧く(つまりは目的を実現させるにあたって有効に)展開するかということを考えた場合、

言葉の使い方よりも、会話の相手や場面、文脈、状況・などを判断して、そのあり様に応じて言葉をなげかける、そのための認識と分析の方が大事な場合が多いのです。』(p.6)


いちおうこの本の読者は
あるていど世間を知り、
成熟と洗練を求める人に想定されている。

福田氏は

・思った通りに話せばいい、
・無防備な関係こそが最高、
・素朴でピュアな自分が好き、
という人間を嫌っている。

善人

が大嫌いなのだ。

他人に意地悪なことばかりしているのに、自分は善良だと思いこむ人が多いと言うが、同感である。

自分が意地悪しているんだと
わかった上でやればまだいいが、
(もちろん意地悪はしないのがベストだけど)

無意識に意地悪をしてしまう人を
結構見かけてきたなあと
思い出しながら書いている。

ここで、思い出すのは

キリスト教だと、
自覚なき良くない行為というのは

原罪

だといわれてなかったかな?

普通は
わかっていて犯罪を犯すより、
無意識に犯した犯罪の方が、実際は罪が軽い印象がある。

だが、
キリスト教などの宗教を通して見ると逆である。

どちらも「悪意」があるとしか見えない「事件」に対して、

キリスト教からみた場合、


「悪い事と知っていてやりました」
より、
「悪いなんてわからずにやってしまった」
の方が宗教的には罪が重いのだ。

罪と知らずに罪を犯すことこそ、人間の根源的な罪なのだ、というのが宗教的な考え方。


宗教の法は、心という

内界の法

であり、

外界の法

は法律ということなんだろうか。


さて。

対話、会話、議論というのは、
この著者によれば、
「悪」の世界に足を踏み入れる事らしいけど、
読み進むうちに

この著者はヘタレだな☆

こいつ、結構、疎外感持っているんじゃないか?

と思えてきてしまうような内容。
顔写真が載っけてあるんでいかんのだ。

だが、

大福ファンには、たまらない本であるはず(笑)

大福さんはいっぱい他人と会話して、
わかりあえないという絶望を経験したんだな、
孤独感味わったんだな、
大福可愛いな・・・

ハッ∑(゜D゜;)☆

イカイカン・・・・(_ _;ゞ

『対話について考えるということは、人と人は善意さえもっていれば互いに理解しあうことが出来るとか、通じ合うことが出来るなどと云う欺瞞から抜け出すことなのです。』


同感。
本当にそうだ。

昔は善意さえあればと
思っていた時期があったなあ・・・(遠い目)

それは主に恋愛の場面だったが、
恋の化学反応が起きている時でさえ、
諍いをしばしば起こしあう場合などは、

善意からの対話など徒労以外のなにものでもない

と心の底から感じたものだ。

自分の考えを述べた時、
相手に無言でにらまれた経験は
あるだろうか。

「なにか気に障った?」と女が尋ねた。
「・・・・」男は黙り込んだ。
「ねえ、何怒ってるの?」と女が尋ねると、

「自分で考えろよ!」

男はそれきり、
女を責めるように無言のままだった。

・・・一応、恋人関係としておきますか。

何に怒っているかを教えないで、自分で考えろと相手に要求する男。


すでに両者は人間として対等ではない。
まるで上司と部下の関係だ。
しかもワンマンな自信家の上司。

男の方は、
自分では、
結構自分のことを

「公平であり、対等に相手に接している」

と思いこんでいたりする。
(そこに自尊心が見える)

こういう人はわりと仕事はできたりする。
苦労少なく地位が上がった人とか、
優秀で上下関係の少ない職場に勤務しているとか、
なんじゃないだろうかと想像する。

自分で考えろといった側は、状況にもよるであろうが、

これが自分の考えの押しつけであることに気付けない。


このパターンは、
ワタシの経験から書いたのだけど、
手元にあった別の本に
わかりやすく書いてある。


●「頭がいい人、悪い人の話し方」樋口裕一著 PHP新書 2004年刊

一章「あなたの周りのバカ上司」の

5、根拠を言わずに決めつける

がそれだ。

こういう相手に努力と善意(誠意、熱意)でアプローチしたが、
結局努力は通じたものの、
こちらが最後は矢折れ、力尽きて、心が壊れてしまった。

惨敗である(自分自身に)


福田氏の言うとおり、

『(善人は)彼らは自らの善意に盤石の自信をもっているので、相手の被った迷惑にたいして、ほとんど認識をしない、あるいは時に指摘をされると、自分は善かれと思ってやったのだ、と開き直る。』

なるほどね。

ここでは、阪神大震災の時送られてきた救援物資の霊をあげている。
さしあたって需要のない古い布団、古着。
受け入れ先の自治体が困惑し
「よく考えて送ってくれ」と言ったら、
「善意」で送ってるのにと抗議をされたという。
なるほどね。

いらない物をもらってもありがたくないわな。

そのとおりではあるけれども、
恋愛だとちょっと微妙だな。(例外もありとしましょうか)


樋口裕一氏は言う。

『きちんとした根拠も理由もなく、相手を説得することはできないのだ(p.41)』

もう、これはそのものズバリ☆

あー暑い (;-ヘ-A

お出かけ準備しなくちゃ・・・

とにかくですね~

福田氏は、会話のやり方を学ぶということは、
悪の領域に踏み込むことだっておっしゃるんですよ。

「え~、そんな、「悪人」になんかなれないわ! あたし「善人」だもーん」

嘘をつくな☆嘘を・・・・(笑)

そこのあなた!

彼氏に使ってるはずっ☆
甘い鼻にかかった声でブランド鞄を指して、

「あんなの欲しいな~~ん、、、うんねぇねぇ・・・」


こういった、
相手に、あるメッセージを伝えるため、
・どのように語り、
・どのような声音で、
・どのような言い回しでいえばよいか
を考えるというのは、
日常やっているんじゃありません?

「やだー☆zenさんたら。そんなの普通じゃないですかぁ(;≧▽≦;)」

やってるじゃねーかよ!!


これって、
ふつう「悪」だと思わないじゃないですか!

でも、こういうことも「悪」だと意識せよと
福田氏は奨励してます(^^)b

福田氏は

「女性は悪人である」

とははっきりとは言っていない。

でも彼は

「したたかな女」

は嫌うんですね。

したたかな女というのは、
・力のある者に媚びる、
・可愛い子ぶり、
・色気を出し、
・気があるように見せかける女。

意識的に媚を売るというわかりやすい「悪」は行う女ですが、

三者の目にどう映るかといった意識がないから、
無様で苛立たしいそうです。

なるほどー


buzama,・・・・ねェ・・・・

福田氏がイケメンだったら、
もっと説得力あるのだけどなあ~~
(´.`)=3

とにかく中途半端はダメ!!

ということですね。

(修正しましたが、わかりにくくてごめんなさい。また見直して修正ます)


つめたいお茶ドーゾ( ^^)_旦


(続く ・・・かどうか未定)