内なる声を聴け!

住宅というものに興味を持ったのは、
古い家で育ったからかもしれない。

建築基準法で決められた角度ギリギリのような急な階段。
生まれて数回しか入ったことのない納戸。

勉強部屋の向かいの部屋には幽霊が住んでいたと思う。

階段をギシッギシッと上ってくる音、
ミシミシ廊下を歩く音。

閉じたふすまの向こうで
ガサガサ何かを探しているような音。

私は高校二年だった。
ラジオの音をを小さくして、勉強をしていた。

「おばあさん?」
返事はない。
時計を見ると、深夜一時をまわっていた。

祖母以外、二階に用のある者はいない。
祖母の持ち物が置いてある部屋だったから。

だが、夜の十時には寝てしまう祖母が
深夜二階にやってくるとは考えられない。

ガサガサ音は止まない。
もう一度
「おばあさんなの?」
と尋ねた。
返事はない。

すでに階段を上がってくる音がした時に、
その気配に
不吉な予感はあった。

それは数日続いた。

その少し前、
音はしなかったが、
妙な気配があった時に
ふすまを思いっきりガーッと開けたことがあった。

「何かいる!」
そう思ったからだ。

だが、何もいなかった。

音がしている時期に、何度ふすまを開けようと思ったことか。

だができなかった。

そこにもし、
何もいなかったら・・・そう思うと、
怖くて何もできなかった。

階段を上ってくる音がした夜は
祖母には私の声が聞こえないのだと思った。

だが、二日目に、ガサガサ
何かを探しているような音がした夜は
一言も声を出せなかった。

けれども次の日、祖母に尋ねた。
「ねえ、昨日の夜、二階に来たでしょう?」
祖母は答えた。
「行っていないよ」
「えっでも昨日何か探しに来てたでしょう?」
「何か探すのなら昼行くよ」

ぞーっとした。

じゃあ、じゃあ、何?
あれは何?
あの音は何?

その音と気配は数日で終わったが、
今も正体はわかっていないままだ。

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本当に怖い家はこんなものではないと
知人が自慢げに(?)言っていた。

「うちの実家、二階で人がいないのに足音が階下で聞こえるのよ」
その人は続けた。

「それも三十年以上続いてるのに、家族は慣れっこよ」

知人が中学の頃の話である。

「ねえ、この音、何? 聞こえるでしょ!?
誰かいるよ」
と知人は何度も言ったのだそうだ。

バタバタうるさいほどに、人の足音らしき音が、
階下に聞こえるらしい。

家族全員茶の間で団らんをとっている時。
一応最初は父親が泥棒がいるかもしれないと
何度か二階に上がって調べたという。

「また足音が聞こえるよ。
ねえおかあさん、気にならないの?」

彼女の母親は、
「・・・何かはいるでしょうね。だから何だっていうの?」
「オバケがいるんじゃないの?」
「古い家だからいてもおかしくないでしょ」
「お母さん、怖くないの?」
「怖がってどうするの。仕方ないでしょう」

こんな感じの対応だったという。
その家では今も、
誰もいないはずの二階の足音が
階下に聞こえるという。

ふーん・・・

上には上があるなあ・・・

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幽霊のいる家には、霊媒体質者はいてはいけない。

呪われたような人生を生きるようになってしまうから。

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呪われた家とは、
家族が一人一人不幸に見舞われる家であったり、
争いの絶えない家であったり、
ある日、突然それまで何ともなかった人が
人格が変わってしまったりする人が出たり、
努力しても、家族が報われなかったり、
能力や学力や地位や金銭だけで
人間の価値を決めるのが当然といった家であったり、

他にも、様々な形で歪みが表れる家ではないだろうか。

こういう家に育つと、あるいは、
こういう傾向に進んでいる家に育つと、
人間は不幸である。

霊媒体質なら尚更である。

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親戚に学者をしている男性がいる。
それなりの妻を得て、地位もあるが、

呪われていると親戚中が噂していたという。

呪われている家だと思うのは、
彼の父親が事故が続いたこと。

急死に一生を得るような事故が続くのだ。
あまりにも頻繁に続くので、
家を建て替えた。
しばらくはよかったのだが、
また事故が続くようになった。

もちろん霊能者に視てもらったというが、
最後まで原因はわからなかった。

現在は次の世代の時代だけど、
「呪い」は薄くなっていても、
無くなってはいないかもしれないと
親戚たちは言ってるとか言わないとか。

呪われ方(?)が顕著で、この他にも不運な出来事はいろいろあったが、
この家に霊媒体質者はいないらしかった。

だからいろいろ起きていたのだろうかと
書きながらふと思った。

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父が亡くなって以来
精神的に停滞していたが、

最近見えてきたのは、
やはり
自分に感じることは
自分にとっては真実なのだということだ。
あくまで自分にとっては、である。


私は霊媒体質である。
これじたい呪われていると
何度思ったかしれない。

表からは絶対理解されない。
「あなたは苦しんだことも、傷ついたこともないでしょう」

真正面から言われたことが何度もある。

「生まれつきの明るさがある」と言われたこともあるが、

実は精神的に苦労しすぎて、
限界を何度も越えてこうなった。

これこそ誰にもわかるまい、である。
最後は笑うしかなかった。

ゆえに根が明るくなったのだ。
スッポン☆と抜けてしまったというか、
強くなったのかもしれない。

霊的な問題でジタバタすることは減ったかも。

だから?ダジャレが得意である。
エロも人間の最後の未知ゆえ、
意味を考えることはライフワークである。

ある意味、この段階で呪われた人生は克服したといえると思った。

実は、
ここからがこの世的には大変だったのだが・・・
それはまた別の話となる。

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今でこそ不思議な体験はないけれど、
精神の限界越えて
闇の世界と闘ってきた。

あらゆる状況に接してきた。
様々な対処を考え、工夫して見い出してきた。

だから「悪」もわかるけれど、
残念なのは、
自分に関わることだけであり、

自分にとって直接関係のない出来事
だと思われる事においては、

それについて口を挟むことは
許されないということである。

たとえば、

『あなたには悪いモノが憑いていますよ』

これを無関係な人間に言うのは御法度である。

気付くのが遅かったかもしれないけれど、
実は、
たとえば、
ひどい扱いを受けて、身に覚えがなければ、
「敵」は自ずと馬脚を現す。

これは実体験したので本当である。

だが、「敵」の相手をしてしまい、
こじれさせたとすれば、
はじめこちらが正しくても
責任は五分五分かもしれない。

たとえば、
争いの時は、
たぶん、
どちらも
お互い様である。

もちろん、例外は何にでもある。

そして、
責任を引き受けた時から、
世界は徐々に変わり出す。
大変な道ではあるが。

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コクーン(繭)」という映画があった。
観た後で優しいふわんとした気持ちになれたなァ・・・

若いある時期、
繭のようなものに包まれていたような時期があった。

「邪悪な霊」に打ちのめされていた数年を過ぎて
道を求めていた時期だったと思う。

半分白昼夢のような時期があった。

その時期
守護霊かなにか
見えない世界の声がかつて言った言葉の数々。

たった一度の貴重な体験だったが、
あのとき聞いた予知はほぼ当たっていたけれど、

「あれはいったい何だったのか?」

と思う時がある。

当然深刻だったし、
救われたし、
道も見えかけた。

だが、前世と来世のつながりを
言われた時には目からウロコだった。

今世の生き方、あり方で来世は決まるとか、

発想が
今を越えて来世にとんだ時には驚いた。

というか、
過去世(前世)の反省がポイントだったが、
スパルタ式で、
不吉な霊体験とは違い
非常に実践的であったし
非常にしんどかった。
だが、魂は知っていたと思う。

奇妙な時期は数年で終わった。


だから本を読む。
あの時期、示唆を与えてくれた人?の元ネタを探すためだ(笑)

大切なのは、
過去と今だけではなく、

「来世の自分のことも考えよ」と言われたことで、
それまでの発想が視野の広がりを
持てた。

遙かな未来から考えるという発想は
とても重要だと教えられたと思っている。


私はその声に従いたいと思った。
ずっとそう思っている。

だが、なかなか原点に帰れず、いつも流されている。
だから本を読む。

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人は、
ともすれば停滞し、
空しい時間が流れてゆくだけの時がある。
自分を見失っているからである。

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人間は、
自らの犯した過ちに気付けず
日々生きているのだけれど、

振り出しに戻れば、
自分の念じた道の果てにいるにすぎないとわかるのではないか。

どこで自分の現在の「信念」を選んだのか
思い出すべきである。

「信念」はいずれは崩壊する。

それは、
人間というやつが、
魂そのものになって生きてゆきたいと
本来望んでいるからだと思う。

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あなたを守っている人は、
あなたが動揺したり、
自分を愛せなくなったりした時に、
あなたを守れなくなってしまう。

あなたはまず、外界の情報のいっさいから離れ、
一人の時間をつくり、

自分自身の真実の声を聴かなければならない。

外界には、擦り切れたあなたを救う真実の声などない。



(私の主観に基づいた記事です。フィクションとしてお読みください)
(加筆修正しました)