新月に感謝を・・・意志の力

今月の新月は20日だったそうです。
ヒーラーのジーニーさんのブログは
見てないのですが、
見た方によると

新月には願いをして、満月には感謝を、

とブログには書いてあったようです。

今月は、新月を意識するのを忘れていて
効き目のある時間ぎりぎり
間に合った?
いや、ダメかも・・・・昨日の夜7時1分までに願わないとということなのに、
少し遅れちゃいましたんで。
(- -;ゞ

特別な新月だった先月、
願ったことが、
せっかく願った以上は、
その願いは叶ったかどうか
それを確認する必要があります。

ジーニーさんは満月に確認して、
夢が叶ってたら今度は
「満月に感謝なさい」
といっておられるそうです。

次回の満月は9月5日・・・・


ワタシですか?
昨日新月を思い出してながら、
気付いたのですが・・・・叶ってる!!

ていうか、
叶う道の中にあるというか・・・・

思いこみの勝利でしょうか(笑)

内的な大きな変化がありました^^

先月、真剣に祈ったからかな?


偶然が起き始めたので、個人的に微笑んでいます。
(^O^)

昨日の偶然は・・・・これはTV番組でした。
頭にフッと浮かんだタレントがいて、
「ん? なんで?」と思ってTVつけたら
その人が☆出てる!!
それが続いたのだった・・・・
なんだ・・・そんな偶然かいな。
はい、、、、すみません(;´o`A
つまんなくって。

以前は偶然が起き、
運命が動き出すと、
ワタシは逃げていました。

めくるめく興奮モノの出来事ほど
恐いものはないです(^^;)

でも結局逃げても、ろくなことはないので。
「なんだ・・・あの好運はすべて
もらっておけば良かったんじゃないか!」
とあとになって思うことが多かったかも。
でも

今度こそはイタダキだいっ!(笑)


ところで。

「過去」というものは
終わったことのように見えますが、
実は

消費した時間というだけで終わらない,、
懐かしい、あるいはつらい思い出、答えの出せない事象の記憶、
ようするに

自分自身の「今」の感情のふるさととして存在していて、
日々の意識にそういう働きがあると
自覚していないだけで

実は、
新たな出来事の種子として小さな蘇りをたえず
何度も起こしているのではないでしょうか。

自覚的に生きておられる方もいると思いますが。

シンクロニシティ
意図的に起こすなんてのも、
もう一度起きて欲しい出来事を、
意識するようにすることから始まりますよね。

その逆がつらいトラウマが引き起こす出来事。
というか感情、感覚。
過去の記憶が

トラウマ

となって日常生活に支障をきたすのです。

過去は取り戻せません。
起きた出来事もないことにはできない。

もはや、取り返しがつかない。

だけど、ではすべてはあきらめるしかないのか?

あきらめる? 何を?

暗い気持ちで以後生き続けねばばらないこと?

あの不安な思いを今後も味わわねばならぬ運命?

因果は変えられると思います。
工夫次第で。

カルマでもそうですが、
カルマから逃げずに飛び込むことが、
克服になると思うのです。
私の場合、

自分が闇に落ちていた事実、
闇だと気付かなかった無知、
闇の相手をしてしまった自分、

あとから気付くと、
自分が愚かに思えることだらけ。

これは私にとっては
業(カルマ)であると捉えています。

よーく考えてみると、
繰り返してもいるような・・・・

自分を知ること、
間違った自分を反省すること、
失敗しない努力、
こういった努力が業の克服には必要だと思います。

初めて心を見つめていった時、
息が苦しくなり、気が狂いそうでした。

慣れれば、そうでもなくなるでしょうけれども。

心とは、習慣のない人にとっては
見つめればかえって
苦しくなってしまうものだと思います。

無理に見つめる必要はないと思います。

私は必要から見つめざるを得なくなった。
創作がなかったら、
私はおかしくなっていたかもしれません。

当時の家というものに「魔」が憑いていたか、
家族の間にある空気がゆがんでいたのか、
どちらにせよ、
私の霊媒体質の目覚めに
つながってしまったことは否定できない。

その長い年月かけた道のなかで、
闇の日々の根底で浮かんだ
大きな疑問。
それは、

「これほどの闇があるというのは謎だ、今生の自分の人生からでは、どう考えても答えが出ない。何故だ?」

というものでした。

私には、
内気ではあっても、目立った(自覚がない)劣等感もない
若い女性が持つには異質な、

「挫折感」「焦燥感」

がどーんと横たわっていました。

不思議だけど、
どこからこんな壮大な(笑)
重苦しい心の重荷がやっててきたんだろう!?
という感じでした。

この心の重荷を自覚した時、
自分の歩み方が見えてきました。

ワタシのスピリチュアル?は、
お気楽に生きている時、
こうした原因不明の

「闇」の訪れ

によって始まりました。
十代でした。

かの階段を上ってきて、
二階でガサゴソ音を立てていた
幽霊事件のあたりでしょうか。

記憶は正確なものではありませんが。

追求してゆくと、何年かのちに
前世からのものであるとしか思えなくなったというか・・・・

前世も「過去」

として捉えれば、
受け入れがたい過去は
誰にだってあるという結論に達しました。

多少恵まれた環境に生まれた私でしたが、
そういったものはすべて、
当時の私には無意味でした。

いえ、
今でも無意味かもしれない。
生きている以上、不可欠なものばかりですが。

前述した前世からのものを含めた

を持った自分をどう受けとめるかですが・・・・

ワタシはずーっと、変わりたくてしかたなかった。
こんな重苦しいものを抱え込む自分から、
自由に軽やかに生きる自分に。

やりたいことをして、
充実感を味わっている自分になりたかった。
たぶんそういう経験は今まで1度もない。

好きなことをしていても、どこかにスッキリしないものがあった。
あるいは重荷があった。

現実には心が苦しい上に
やりたいことすら見えなかった時期が
長く続いてもいました。

でも少しずつ、時間をかけて
心理的なもの、闇にアプローチ。
合間に夢にアプローチ。

親とどれだけ話し合いが持たれたか・・・・
相手が最終的には私を理解できなかったとしても、
カルマに対して、命を賭けて、自ら踏み込んでいったことは事実です。
親たちも協力してくれた。

片親が生を終え、謎は残りましたが。
私は逃げることはしなかった。

停滞状態が続きました。

謎が残りました。

この父の終わり方はいったい!?
どうなっているのかと。

父の遺体から霊体が抜けて
座布団に座っていたので、
まず地獄には行ってないなと安心はできても、

その事と、
カルマのテーマとは別だと思います。

本人も、やり残したと死んでから気付いたはず。

しばらくの混乱状態は覚悟していましたが。

そうそう。

父が亡くなった夜、不思議な霊的現象がありました。
表現できませんが。
解釈不能だからです。

ただ、

同じ事は二十年ほど前にも起きていた

のでした。
繰り返しです。

見えているのは私だけだったけれど。

業(カルマ)のすさまじさ

を、
霊的にあるいは人間関係の混乱の中に
ご覧になった事がある人も多いと思います。
すべての

「邪悪」

吹き出します。

私の見えていたモノが正しかったことが証明されても、全然嬉しくなかった・・・・


なぜ、みんな私の言葉を信じてくれなかったの?
そう思いましたよ。

でも実際は、
すさまじすぎて、
邪悪な霊たちのことが理解できたら、
気分がおかしくなると思うのです。

呪術師の話をコミックで読んだりしてたけれど、
リアリティが違う。

悪霊の正体
目的やいきさつ
最終的にどうしてあげればいいのか等

若かったからできたのだと思います。


カルマというものは
人間にとってどうすることもできない力を持っていて、
人々を振り回し続けます。

個人的なことゆえ、
わかりにくくて申し訳ないf^^;


大変な道でした。
中断しながら、

今も続く道です。
死後も、来世も巻き込む道でもあると思います。
当然よい意味でです。

そう・・・・

命がけでした。

大げさかもしれませんが事実です。

私は何のために悪霊たちと対峙してきたのか・・・・
疑問もありました。

非常に手応えはあったし、そもそも
いったい何十人?を相手したでしょう。

様々なレベルの悪霊退治。
退治というより、引き上げることかな。

対処は個性や状況によって違います。
スリリングで刺激的でしたが、
真の目的は自分が普通の人間になること。

年月を経て振り返ると
その霊的現象が、ほんの数年に集中しており、
あとは断続的になってきて、
平和な時間が多かったことも思い出します・・・・

そのうち時間が経つにつれて

私は道を見失ってゆきました。

自分の道や信念を貫く意志を
見失っていった私。

を歩み続けようと
決意したはずの自分があっちにフラフラ
こっちにフラフラ・・・・

怠惰になって、目的を見失うのです。
面倒がらずに、目的の確認をしなけりゃ、
フッと糸が切れて飛んでいってしまいそう。

あれからどれだけ、争いごとに巻き込まれてきたでしょうか。

ネットはフィクションを作り出します。
長引くと、多くの人間に影響を与えてゆきます。
良いことは何もありません。

ただただ消耗です。


相手をしないことです。

相手をした分
相手はあなたのトラウマになると思います。

もはや、争いや諍いはネットでは無意味。


ネット上の争い。
これは見えない世界とは違うけれど、
争いは深みにはまると恐ろしい事が起きてきます。

限度を超すと、
他の人々の内面に影響し、
いろんな感情を引き出します。

視野狭窄

これはとんでもない世界への片道切符かも・・・・
リアルが絡んだ時、
それは冗談ですまなくなるでしょう。

自分の内的な経験も
ネットで味わった様々な出来事を加えて、
ようやく、

今さら遅いけど、
感じるのは

鳥瞰

だけではなんの解決にもならないということ。

上から見晴らしがよい事など
どんな意味があるのでしょうか?
人間は人間。

退く

ことこそ大切。

私は埋もれていた自分の道を

再び見つけた。


新月に願ったものは

バラバラだった私の育った家族を
一つにしてください、
という事・・・・・

意志

を立てずして、どんなことも
気付くことも進むこともできないと思います。

そして夢が叶ったら

満月に感謝☆



(加筆修正しました)