新月に感謝を・・・意志の力
偶然が起き始めたので、個人的に微笑んでいます。
(^O^)
(^O^)
昨日の偶然は・・・・これはTV番組でした。
頭にフッと浮かんだタレントがいて、
「ん? なんで?」と思ってTVつけたら
その人が☆出てる!!
それが続いたのだった・・・・
なんだ・・・そんな偶然かいな。
はい、、、、すみません(;´o`A
つまんなくって。
頭にフッと浮かんだタレントがいて、
「ん? なんで?」と思ってTVつけたら
その人が☆出てる!!
それが続いたのだった・・・・
なんだ・・・そんな偶然かいな。
はい、、、、すみません(;´o`A
つまんなくって。
以前は偶然が起き、
運命が動き出すと、
ワタシは逃げていました。
運命が動き出すと、
ワタシは逃げていました。
めくるめく興奮モノの出来事ほど
恐いものはないです(^^;)
恐いものはないです(^^;)
ところで。
「過去」というものは
終わったことのように見えますが、
実は
終わったことのように見えますが、
実は
消費した時間というだけで終わらない,、
懐かしい、あるいはつらい思い出、答えの出せない事象の記憶、
ようするに
懐かしい、あるいはつらい思い出、答えの出せない事象の記憶、
ようするに
自分自身の「今」の感情のふるさととして存在していて、
日々の意識にそういう働きがあると
自覚していないだけで
日々の意識にそういう働きがあると
自覚していないだけで
実は、
新たな出来事の種子として小さな蘇りをたえず
何度も起こしているのではないでしょうか。
新たな出来事の種子として小さな蘇りをたえず
何度も起こしているのではないでしょうか。
自覚的に生きておられる方もいると思いますが。
過去は取り戻せません。
起きた出来事もないことにはできない。
起きた出来事もないことにはできない。
もはや、取り返しがつかない。
だけど、ではすべてはあきらめるしかないのか?
あの不安な思いを今後も味わわねばならぬ運命?
因果は変えられると思います。
工夫次第で。
工夫次第で。
カルマでもそうですが、
カルマから逃げずに飛び込むことが、
克服になると思うのです。
私の場合、
カルマから逃げずに飛び込むことが、
克服になると思うのです。
私の場合、
自分が闇に落ちていた事実、
闇だと気付かなかった無知、
闇の相手をしてしまった自分、
闇だと気付かなかった無知、
闇の相手をしてしまった自分、
あとから気付くと、
自分が愚かに思えることだらけ。
自分が愚かに思えることだらけ。
これは私にとっては
業(カルマ)であると捉えています。
業(カルマ)であると捉えています。
よーく考えてみると、
繰り返してもいるような・・・・
繰り返してもいるような・・・・
自分を知ること、
間違った自分を反省すること、
失敗しない努力、
こういった努力が業の克服には必要だと思います。
間違った自分を反省すること、
失敗しない努力、
こういった努力が業の克服には必要だと思います。
初めて心を見つめていった時、
息が苦しくなり、気が狂いそうでした。
息が苦しくなり、気が狂いそうでした。
慣れれば、そうでもなくなるでしょうけれども。
心とは、習慣のない人にとっては
見つめればかえって
苦しくなってしまうものだと思います。
見つめればかえって
苦しくなってしまうものだと思います。
無理に見つめる必要はないと思います。
私は必要から見つめざるを得なくなった。
創作がなかったら、
私はおかしくなっていたかもしれません。
創作がなかったら、
私はおかしくなっていたかもしれません。
その長い年月かけた道のなかで、
闇の日々の根底で浮かんだ
大きな疑問。
それは、
闇の日々の根底で浮かんだ
大きな疑問。
それは、
「これほどの闇があるというのは謎だ、今生の自分の人生からでは、どう考えても答えが出ない。何故だ?」
というものでした。不思議だけど、
どこからこんな壮大な(笑)
重苦しい心の重荷がやっててきたんだろう!?
という感じでした。
どこからこんな壮大な(笑)
重苦しい心の重荷がやっててきたんだろう!?
という感じでした。
この心の重荷を自覚した時、
自分の歩み方が見えてきました。
自分の歩み方が見えてきました。
かの階段を上ってきて、
二階でガサゴソ音を立てていた
幽霊事件のあたりでしょうか。
二階でガサゴソ音を立てていた
幽霊事件のあたりでしょうか。
記憶は正確なものではありませんが。
追求してゆくと、何年かのちに
前世からのものであるとしか思えなくなったというか・・・・
前世からのものであるとしか思えなくなったというか・・・・
多少恵まれた環境に生まれた私でしたが、
そういったものはすべて、
当時の私には無意味でした。
そういったものはすべて、
当時の私には無意味でした。
いえ、
今でも無意味かもしれない。
生きている以上、不可欠なものばかりですが。
今でも無意味かもしれない。
生きている以上、不可欠なものばかりですが。
ワタシはずーっと、変わりたくてしかたなかった。
こんな重苦しいものを抱え込む自分から、
自由に軽やかに生きる自分に。
こんな重苦しいものを抱え込む自分から、
自由に軽やかに生きる自分に。
やりたいことをして、
充実感を味わっている自分になりたかった。
たぶんそういう経験は今まで1度もない。
充実感を味わっている自分になりたかった。
たぶんそういう経験は今まで1度もない。
好きなことをしていても、どこかにスッキリしないものがあった。
あるいは重荷があった。
あるいは重荷があった。
現実には心が苦しい上に
やりたいことすら見えなかった時期が
長く続いてもいました。
やりたいことすら見えなかった時期が
長く続いてもいました。
親とどれだけ話し合いが持たれたか・・・・
相手が最終的には私を理解できなかったとしても、
カルマに対して、命を賭けて、自ら踏み込んでいったことは事実です。
親たちも協力してくれた。
相手が最終的には私を理解できなかったとしても、
カルマに対して、命を賭けて、自ら踏み込んでいったことは事実です。
親たちも協力してくれた。
この父の終わり方はいったい!?
どうなっているのかと。
どうなっているのかと。
父の遺体から霊体が抜けて
座布団に座っていたので、
まず地獄には行ってないなと安心はできても、
座布団に座っていたので、
まず地獄には行ってないなと安心はできても、
その事と、
カルマのテーマとは別だと思います。
カルマのテーマとは別だと思います。
本人も、やり残したと死んでから気付いたはず。
しばらくの混乱状態は覚悟していましたが。
見えているのは私だけだったけれど。
なぜ、みんな私の言葉を信じてくれなかったの?
そう思いましたよ。
そう思いましたよ。
でも実際は、
すさまじすぎて、
邪悪な霊たちのことが理解できたら、
気分がおかしくなると思うのです。
すさまじすぎて、
邪悪な霊たちのことが理解できたら、
気分がおかしくなると思うのです。
呪術師の話をコミックで読んだりしてたけれど、
リアリティが違う。
リアリティが違う。
悪霊の正体
目的やいきさつ
最終的にどうしてあげればいいのか等
目的やいきさつ
最終的にどうしてあげればいいのか等
若かったからできたのだと思います。
カルマというものは
人間にとってどうすることもできない力を持っていて、
人々を振り回し続けます。
人間にとってどうすることもできない力を持っていて、
人々を振り回し続けます。
個人的なことゆえ、
わかりにくくて申し訳ないf^^;
わかりにくくて申し訳ないf^^;
大変な道でした。
中断しながら、
中断しながら、
今も続く道です。
死後も、来世も巻き込む道でもあると思います。
当然よい意味でです。
死後も、来世も巻き込む道でもあると思います。
当然よい意味でです。
私は何のために悪霊たちと対峙してきたのか・・・・
疑問もありました。
疑問もありました。
非常に手応えはあったし、そもそも
いったい何十人?を相手したでしょう。
いったい何十人?を相手したでしょう。
様々なレベルの悪霊退治。
退治というより、引き上げることかな。
退治というより、引き上げることかな。
対処は個性や状況によって違います。
スリリングで刺激的でしたが、
真の目的は自分が普通の人間になること。
スリリングで刺激的でしたが、
真の目的は自分が普通の人間になること。
年月を経て振り返ると
その霊的現象が、ほんの数年に集中しており、
あとは断続的になってきて、
平和な時間が多かったことも思い出します・・・・
その霊的現象が、ほんの数年に集中しており、
あとは断続的になってきて、
平和な時間が多かったことも思い出します・・・・
怠惰になって、目的を見失うのです。
面倒がらずに、目的の確認をしなけりゃ、
フッと糸が切れて飛んでいってしまいそう。
面倒がらずに、目的の確認をしなけりゃ、
フッと糸が切れて飛んでいってしまいそう。
あれからどれだけ、争いごとに巻き込まれてきたでしょうか。
ネット上の争い。
これは見えない世界とは違うけれど、
争いは深みにはまると恐ろしい事が起きてきます。
これは見えない世界とは違うけれど、
争いは深みにはまると恐ろしい事が起きてきます。
限度を超すと、
他の人々の内面に影響し、
いろんな感情を引き出します。
他の人々の内面に影響し、
いろんな感情を引き出します。
自分の内的な経験も
ネットで味わった様々な出来事を加えて、
ようやく、
ネットで味わった様々な出来事を加えて、
ようやく、
上から見晴らしがよい事など
どんな意味があるのでしょうか?
人間は人間。
どんな意味があるのでしょうか?
人間は人間。
(加筆修正しました)