辻邦生さんのパリからの手紙

北杜夫さんと辻邦生さんの往復書簡は美しい文章 です。
とくに辻邦生さんのほう。

たとえば、

辻邦生さんから北杜夫さんに
1960念2月1日出された手紙のある部分です。

宗吉(zen注:北杜夫さんのこと)にはおこられるかも知れないが、あと数ヶ月、こうして静かに季節のめぐりを見ていたい。時間がなくなってしまうような空白の時間のなかで、時間の感覚のともなわない季節の動きを、しばらくじっと見ていたい。いずれ日本に帰ればいやでも仕事をやらなければならないし、またやりたいこと、書きたいことが、今では身体じゅうに満ちている。


あと何年生きられるか知らないけれど、書きに書いてもそれらは書き終えることができそうにないように見える。日本を離れていると──(以下略)


ずーっとなんという美しい文であろうかと
思えるような文章が続きます。

時は、
異国では、故国と異質な時間が流れます。

それは
非日常的であるだけではなく、
ときに幻想的でさえある時間が
流れていたのではないだろうかと思います。

情熱を秘めた作家にとって、
開花する前の静謐な時間は

日常にどっぷり浸かっているだけでは、
意味がある時間の過ごし方とは
いえないかもしれない。

多くの作家の創作の開花に
旅はつきものですが、
旅が有意義だからとか
非日常だからだとかいうことよりも

異国であらためて
日常や自分を初めて発見するというような
自分の認識が変わるという体験を
することに大きな意味を見い出し

旅が人生と似ていることを明確に知ることで
創作の意味や意義が理解されてくることが
作家にとっての

旅の意味

なのかもしれないと
思ったりしました。

この往復書簡を斜め読みしてみて…。

手紙。


今は亡き人たちの存在を知らしめるもの。
それらが美しいものであればあるほど、
ただ生きるだけの日々より、

美しく生きることの意味について
ふと思い馳せてみるワタシなのでした。

日常と非日常。


単にそれだけではない、
人生の余白。

美は


つくづく
生み出されるものであるという認識が
たかまってきました。

それではまたね♪



また元気でがんばりましょうかねェ…

今日は久々にゆっくりできる日でした。

が…

B級ではあるがオモシロイという
ゴーストシップ」を見損ねた~(ーー:ゞ

(読みにくいかも。そのままアップしちゃえ~ゴメン)