辻邦生さんのパリからの手紙
たとえば、
宗吉(zen注:北杜夫さんのこと)にはおこられるかも知れないが、あと数ヶ月、こうして静かに季節のめぐりを見ていたい。時間がなくなってしまうような空白の時間のなかで、時間の感覚のともなわない季節の動きを、しばらくじっと見ていたい。いずれ日本に帰ればいやでも仕事をやらなければならないし、またやりたいこと、書きたいことが、今では身体じゅうに満ちている。
ずーっとなんという美しい文であろうかと
思えるような文章が続きます。
思えるような文章が続きます。
時は、
異国では、故国と異質な時間が流れます。
異国では、故国と異質な時間が流れます。
それは
非日常的であるだけではなく、
ときに幻想的でさえある時間が
流れていたのではないだろうかと思います。
非日常的であるだけではなく、
ときに幻想的でさえある時間が
流れていたのではないだろうかと思います。
情熱を秘めた作家にとって、
開花する前の静謐な時間は
開花する前の静謐な時間は
日常にどっぷり浸かっているだけでは、
意味がある時間の過ごし方とは
いえないかもしれない。
意味がある時間の過ごし方とは
いえないかもしれない。
多くの作家の創作の開花に
旅はつきものですが、
旅が有意義だからとか
非日常だからだとかいうことよりも
旅はつきものですが、
旅が有意義だからとか
非日常だからだとかいうことよりも
異国であらためて
日常や自分を初めて発見するというような
自分の認識が変わるという体験を
することに大きな意味を見い出し
日常や自分を初めて発見するというような
自分の認識が変わるという体験を
することに大きな意味を見い出し
この往復書簡を斜め読みしてみて…。
今は亡き人たちの存在を知らしめるもの。
それらが美しいものであればあるほど、
ただ生きるだけの日々より、
それらが美しいものであればあるほど、
ただ生きるだけの日々より、
美しく生きることの意味について
ふと思い馳せてみるワタシなのでした。
ふと思い馳せてみるワタシなのでした。
単にそれだけではない、
人生の余白。
人生の余白。
つくづく
生み出されるものであるという認識が
たかまってきました。
生み出されるものであるという認識が
たかまってきました。
また元気でがんばりましょうかねェ…
今日は久々にゆっくりできる日でした。
が…
(読みにくいかも。そのままアップしちゃえ~ゴメン)