12歳で「優越感」への批判文を書いた コリン・ウイルソン

ネタがありすぎるため、題名をまず書いてみて、書けるかどうかで記事アップを考えようと思った。

「12歳の告発」

なんてタイトル、かっこよくないっすか?
コレで行きたいと思ってたんだけど…(・_・;)

でもやめた。
そのまんま、でいくわ。
うちのブログは社会派じゃないからなァ(´。`)

「発端への旅──コリン・ウイルソン自伝」コリン・ウイルソン


著者は12歳で
大人たちの自己欺瞞と優越感を
批判した文を書いたという。

そこが彼の物書きの歴史のスタート地点である。

大人たちを軽蔑し反発した幼少時を持つ
コリン・ウイルソンの自伝を読み出した私。

あたしもちょい似ておる。
幼児の頃、周囲の大人たちに対して、疑問だらけだった。

どちらかといえば、コリンと同様
労働者階級だったせいだろうか。

どちらかといえばである。
祖父も父も個人で出世した謹厳実直な家庭環境であった。

コリンと違うのは、私には霊的な体験が多くあったことであり、
彼には全くないことだ。

なのに「オカルト」という本を書いている。

薔薇族」という男色雑誌の今は亡き編集長が、
一般的性嗜好者だったのと同じか。
(意味不明なんて言わないの~~♪)

日本の場合、

階級

というのがよくわからんけど。

今はすごい格差があるけど、
島国だからなあ。
グローバルちゅーても、なんか大陸的になれない国で、良い面も悪い面もあって…混沌としてるような、ねェ?

さて。

コリンについては、小難しい本ばかり読んでたんで、
どんな生真面目な人間であろうかという先入観を抱いていたが…
なんでえ、
女性とのうんたらかんたらばっかやないかーい☆

日本の作家では、まるで遠藤周作の印象であった。
遠藤さんは、
キリスト教者であり、純粋に文学的な作品をいくつも書いた作家であるが、
ワタシは狐狸庵閑話から入ったため、
ていうか、そっちしか知らないに等しく、
彼の学生時代は女たらしのポン引きまがいの遊び人
という印象しかない(笑)

だから、彼のファンが
彼がスキャンダラスな小説を書いたとき、
「イメージが崩れました」
ということを理由に離れていった人がいた
ということの意味がまるで理解できなかった。
遠藤周作は、友達に「俺の女買わないか?」
と話を持ちかけるようなくだらない男だったんであるから、

むしろ、スキャンダラスなものこそ
本領発揮だという感じなのだが、
そう思わぬ人がいたらしい。

遠藤さんの自らへの劣等感と
歪んだ欲望などを知っていたので
(本人が言っていなかったか)

「私が棄てた女」

などは本当にすごいよく書けてるうまい作品だと思っている。

文学的な視線では、エリートっぽく扱われていたから、
自分自身が醜いものを抱えていると知っていて
たえずそれと向き合わねばならない心情であると
そりゃつらいわなあ…

宗教って、とくにキリスト教って、
なんか真っ正直でいなきゃならないし、
裏表が出来やすいというか…できるよねえ。

カトリックだって離婚がよくあるらしいしな。
現代社会には確かに合わなかったでしょうな。
まあそういう境遇が羨ましいけど。
個人的な悩みが
世界的なテーマにできる内容だって事は
作家には得なことであります。

そのエンドーさんとコリン・ウイルソンは同じような印象を受けた。


というのは、コリンもカタいものばかり書いているので
さぞかし…お堅くてまじめで研究熱心という印象なのだけど、
おいおい、女性問題ばっかりじゃん☆

ぜんぜんカタくないというか、

ヤワラカすぎるわ!


誰もコリン・ウイルソンをカタい人だとはいってないけどね。

私はそう思っていた。
哲学者だと。

まあ、

哲学者フーコーだって
夜な夜な遊んでたらしいから、
読者は勝手に思いこむだけなんだけど。

しかしオモシロイ読み物である。
先の辻邦生さんのような叙情的な感じはないものの
共通する何かがあって
それがこの二人を私がリスペクトする理由である。
言葉でうまく言えないが。

そのうち言葉で表現できる日も来るだろう。

コリン・ウイルソンは女装趣味があったらしい。

子どもの頃の話である。
母親の服を下着も含め、
着ることが好きだったという。

子供の頃なら、いつかゲイになる素質の人間なら
誰でも好奇心からやっていそう。

ありがちで面白くない。
カポーティがゲイなのと同じくらいありがちではないだろうか。

では、コリンは同性愛者か。


どちらかといえばエッチなコリンに
同性愛的な面はなさげであるが、
優しい人ではあったんだろうな。
今ならギャル男みたいなもんか。

でもないようだ。
コリンは子供の頃、
サディズム的なものを自分に自覚している。

近所の女の子をいじめたりしていた。
ヘナヘナ弱々しいものに抱く嫌悪というもの。

しかし、陰が無かったことが健全と言えば健全か。

生涯でもっともひどいお仕置きを招いた
内なるサディズム…とコリンは回想する。

近所の二人の子どもを
「ばかみたいだ」というだけで弟と殴って、
それを見つかって学校に呼び出された。

そして謝罪。
父親からはこれでもかというほど叩きのめされた。
まだ7歳前後のことだった。

喧嘩っぱやさは、アマチュア・ボクサーだった父譲りだ。

なんちゅークソガキであろうか(ーー;)

健全ではあるが…

そう。
健全さって大切なのだ。
無邪気に従兄弟と万引きまでしている。

今の社会からすれば、とんでもないことと思うかもしれないが、

コリンが記述しているように、

“作家としての自分の成長に重要な関係があるにちがいないと思うから”

彼は書くのだ。

万引きの回想を読みつつ、ジュネみたいだなと思っていたら、
ジュネの名前が出てきた。

そのあとも読んでいて、
今度は

「コリンて【エデンの東】のジェームズ・ディーンみたいだな」

と思った。

いろんな要素を持った人生だ、コリン・ウイルソンて。

そして。

霊媒を信じる降神術に出かける習慣のあった祖母、
無神論だった叔父、
洞察力のあったクラスメートにショックを覚えたこと、

このような話へと続くのだ。


(2)へ続く…予定


コリン・ウイルソンの自伝は不思議に美しい。

この人は、
子供の頃から自分の原点を探し続けている人だ。

読みはじめたばかりだけれど、
貴重な時間を使って読んで

「ちぇっ、読んで損したな~」

とは思えない本である。

本で損したと思ったことはほとんどないが、
こういうオモシロイ本に出会うと、
損な時間をずいぶん過ごしたなと
思える本もあったのだということを
あらためて気付かされるような気がした。

コリン・ウイルソン自伝

●発端への旅 竹内書店 1971年刊


どこかの古本市で購入した本。
未読でしたが、ぼちぼち読んでいる。

正直、自伝がこんなにオモシロいとは。
オモシロいし、妙に美しい。
今の私だからハマるんでしょうか?

ナボコフ自伝なんて読めねー(T_T)
耽美な自伝過ぎて。


(修正しました)