病気が“対岸の火事”ではなくなったら…

もうダメだ!!

迫り来る危機に、パニック☆
というほどでもないけど、

最近仲良くしてる人が
職場で新型インフルエンザにかかってる人がいて…

で、その人もちょいヤバくなっているらしい…

らしい
というのは、
本当に新型にかかったのかどうか
未確認のままだからだ。

「ノドがなんとなく変なのよね」

というだけで、熱もないし、普通にしている。

「なんだか頭も痛い…ような気がする…ような」


気のせいや!!

と言いたいけど
それはもはや無意味なり。

休日でよかったと、
ゆっくり過ごしているそうである。

よもや自分が新型にかかるはずがないだろうと
思っていたこれまでとは逆に

新型の人と同じ場で数時間過ごしたというだけで
新型にかかったと思いこんでしまう人も多い
ような気がする
今日この頃であるが…。

そんな時、

フィラデルフィア

というエイズにかかった弁護士の
名誉回復の奮闘と友情と愛をテーマにした
裁判映画を観ていた。

トム・ハンクスが若い。
テーマの深刻さより、
映像の美しさと
素敵なインテリアセンスに
目がつい釘付けになってしまった。

トム・ハンクスの出演するものは、
いつもインテリアや映像が素敵だ。

「ユー・ガット・メール」

が特に好きだった。

だけど、よく考えてみれば
トム・ハンクスの醸し出す独特の雰囲気が
何を演じても
彼のユニークな存在感に映像ごと染まってしまい

もしかしたら共演者も含め
インテリアまで一気に
素敵に見せてしまえる魔法をかける技を
彼は持っているのかもしれない。

そうなのだ。

物語のテーマとか
どういう立場かということを
視野に入れる前に

トム・ハンクスの緩やかな存在感に
次第に世界が回収されてしまうというか、
説得されてしまうように思えるのだ。

観客はその余韻に触れているだけであるのかもしれない。
(あくまでワタシの主観である)

稀有な演技者だなあと思う。

トム・ハンクスが演じると
アンハッピーなラストでも

深い余韻や
あがきにあがいただけに見える生なのに
そこには人生の意味が記されているような
メッセージ性を感じるような…。

さらにいえば、

トム・ハンクス演じる主人公が
あがきにあがいて
もがき苦しむ人生だったのにもかかわらず、

残された人々に
微笑みがたたえられていることが
映像に、自然に表現されている。

これって…

トム・ハンクスならではではないだろうかと
勝手に想像する。

グリーンマイル

をここで思い出した。
看守の役柄だったが、
トム・ハンクスにしか出来ないような
ラストの余韻が残っていた。

あまり好きではない役者だけれども、
こういった優れた個性の役者のおかげで

マイナスのイメージを持たされ
偏見に晒された罪なき人々の
最悪の状況を持ち上げることが
できてゆくんだろうと思ったりする。

人間の心の弱さは
他人の視線の中での自分を
常に意識しなければならない状態で
育まれているように思う。

育まなくてもいいのかもしれないのに、

時に

それは

洗練

と名を変えて
自我が肥大したに過ぎないものを
次々と生み出している状況なのではないかと
思えてきたりする。

「気のせいやっ☆」


…だといいですね(^.^)

しかし!!

思いっきり
内容が横道にそれましたが、
そういうことを、今日ワタシは考えてたんですね。

フーン


まとまらないまま終わり。
あとで直そうっと(^。^♪

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皆様
新型も毎年のも
インフルエンザには気をつけてくださいね…