道に入る前に…克服すべきことがある

本の整理をしていると、探していた本、忘れていた本がいっぱい出てくる。

ワタシがほんの少しの間ご近所だっただけで
縁のあった作家がいた。

その人はミステリーかホラーかを書いていたが

ワタシは彼の短編がめちゃくちゃ好きだった。
不思議な世界を描き出すのがうまい人だった。

今どうしているんだろうか。

ワタシの貧しい読書遍歴の中で、
あんな不思議な世界は彼しかいなかったな。

人間は死を乗り越えることはできるんだろうか。

老化や病気はやがて克服できそうな気はするけれど、
死は無理なように思う。

肉体の質を変えたりしないと無理な気がする。

というか、
あの世と通信できるシステムがはやくできればいいのに。

これはいずれできるだろう。
そんな気がする(笑)

どこかであの世と電話で話す研究がされているというのを聞いたことがある。

最近、世間の新しい情報に触れてないので、
ざっと思うことだけ書いてるけど、
最近興味があるのは
新しいカフェとかレストランを見つけることだから…。

あの世からの情報が届いたら、
不思議な世界は不思議ではなくなってしまうけど、

ワタシはあの世とこの世があまりにも認識がかけ離れていると思うので、
今のような人類の考えじゃ
まだまだ、あの世との通信できる可能性は遠いだろうなと思っている。
だけど、死の克服よりは可能性があると思う。

ワタシは、不思議な世界というのは、
死後の世界というよりは
過去世にあると思っている。
唐突だけど。

ワタシは自分が明治の頃、
生まれていたと思っている。
なぜそう思うかについては説明できないけど。

不思議な出来事が若い頃あって、
そういう結論になった。

過去世というのは、
良いものばかりではない、悪いものもあって、
というか、悪いものの方が人生に強く出るのではないだろうか。

ある程度つらい目にあって
それをクリアーしてから、
自分の本来を取り戻して後に
本来の出会いが訪れるのだという説もあるように、

苦しいことばかり続く場合がある。

それは、乗り越えられないはずがない苦悩であっても、
本当に乗り越えられないまま、
自ら生を止める場合もあれば、

他者を巻き込み、
己をごまかして、日々をやり過ごす場合もあるだろうな。

業というものは人それぞれ特徴が違うという。

説明などうまくできそうにない。

それを霊能者などは、
さも熟知しているかのように理論を口にしたりするのを見ることもあるみたいだけど、
なんだかなあ。

魂にも階層があるようで、
しかもその階層は権力や権威を持つわけのない
謙虚さや心の美しさや執着のない姿などが尺度であり、
この世では厳密には真の客観性が存在しないため、
この世にはその階層を証明したり、
説明することがしきれないように思う。

いろいろ階層について書かれた自称悟った人々の書物があるけど、
勉強にはなっても、とりとめがない。

ただ、
他人が個人を幸福にはできないと思うワタシだ。

それはたとえ夫であろうと、
妻であろうと、
恋人であろうと、
親であろうと、
子であろうと、
固い友情を分かち合った友であろうと、

幸福というものは、ある意味霊的なものだと思うからだ。

自分と自分。


物質的な目に見える幸福を求めていたら、
欲求を叶えておしまいであり、
欲望の追求であり、
資本主義の幸福観であって、
なんだか心の幸福とはちがうというか…。

本当の幸福とはなんだろうか。


欲望を叶えた、
自分が本当に生きていないことがわかった、
自分の願いが見えてきた、
苦しみが消えた、
死にたくなくなってきた、
忙しさから解放された、
不和だった知人、家族と仲良くなれた、
行方不明だった夫が子供が妻が恋人が見つかった、
手術が成功して、病気が治癒した、
どれもが幸福だと思う。

でも、そういう物質、感覚次元の幸福ではなく、
次元を超えた幸福にワタシは行きつきたい。

永遠の生命のライフワークに出会うこと、
見出すこと、

それがたぶんワタシの真の幸福だと思っている。


今のワタシは、結構いろんな過去を思い出している。

そしてこだわりを見出すこともある。
(こだわりのない人生を送ってる人などいないだろうが)

幸福以前に心理的にうだうだしちゃってるような。

あんなことしなきゃよかったなとか思う。
こんなふうにすればよかったなとかも思う。

…ああ、まだくだらない、つまらないことにこだわっている自分、

優しいのだな、
そして、
そういった他者の優しさを利用して生きながらえてる人間がいるのも
また現実である。

けれども、すべては
自分の責任だ。

いまだ、次に進めず足止めをされているように思うのは、
ワタシの愚かしさであるのだ。

ときに優しさなどなんにもならないことがある。

業の深い人間に絡んで生じた優しさは
こちらにとって罠であることがある。

そういうことで、人生の重要な時間を棒に振る人々が
自覚もなく、
今もこれからもいるんだろうな。

共依存もそういった状況から生まれるのだろうか。

愚かな。
愚かな自分。

今、このカルマ(業)乗り越えられつつある──。