再び「アバター」について (ネタバレ注意★) そして幸福とはなにかの話

再び「アバター」のネタであるが。

ワタシは、この映画の高揚感をイカサマだと言ったが、
実はこの結論のあとに補足があるんであるよ。

つーのはだ、
実は、主人公は後半、自分の本当の気持ちに忠実に行動するのである。

悪い奴らに土地を破壊されたり仲間を殺されたりして
希望を見失いかけた一族に主人公は
希望を取り戻すきっかけを与える。
一族は団結し、きずなをより固めてゆく。

本当に面白いのは実はここからのはずなのだ。

だが、あのラストがある限り、どんなに面白くてもがっくりきちゃうよ。

あれでいいという人もいるんだろうけど、
ワタシ的にはありえないな☆

あれを持ってきたいなら、
これまで一族に敵との歴代の戦いで挫折したエピソードが欲しいぞよ。

ラストの奇跡が映画全体を軽くしていると感じた。

グレースの命と引き替えとか、もっとストーリーいじればいいのに。

(観ていない人には何のことやらという感じでしょうか)

ともあれ

主人公は単なる高揚感を経て、
アバターとはいえ、それは現実のことなので、
自分の立場と、育った感情の間で悩むことになる。

愛、きずな、団結、場の秩序を保つ奇跡の自然…

未開?の先住民たちの生活の営みが
主人公にとって、とても大切なものになった時
それを破壊することに迷いが起きる。

ラストのような奇跡が起きるなら、
まあ選び取った道は正解なんだろうけど、
あのエイワにあんなことができるなら、もっと事が起きる前になにかできたろうにね!

まあいいっすよ☆


とにかく、ジェイクは単なるイカサマの高揚感を、
本当の自我で生きるためのバネにしたのだ。
ま、

ホンモノになった

ってこってす♪

先住民の女子との恋愛は、単純に幸福というわけでないけど、
この女子は男子にとっては

運命の女

という感じだ。

なんかこのあたりは

トータル・リコール

を思い出すなあ。
火星に行く夢を見るが、いつも未知の女が出てくるのだ。

気が強くて従順でブルネットのヘア、
主人公の理想の女性である。

アバター」の女の子も、強くて無垢で純粋で美しい。
うーん、
最近いない女性ですね。

こんな女性と出会って恋ができたら、
男にとってはラッキーでしょうね~

男を夢の世界に案内してくれる女こそ、運命の女でありましょう。

ただし、幸運と引き替えにデンジャラスな条件もついてまわります。

日々、戦いに明け暮れ、
命がけで引き受けた運命を切り開いてゆくミッションがね…

それでも運命の美女と出会う幸福を選びますか?


ジェイクは選んだわけで。
美女をとったという感じではありませんが、
ヒーロー願望を満たして、
自分の現実や過去のあれこれを
吹っ飛ばしたという感じは残りました。

ストーリーには、不満が残ります。

でも映像だけでもう充分楽しめるというか。

さて。
地味な日常にジェイクのような出来事は起こりえませんが、
日頃、できれば高揚感を味わいたいと求めているのが人間。

幸福。


ブログタイトルに幸福をつけてる人は結構おられますが、
ワタシは本音言うと、
幸福という言葉自体、胡散臭いと思ってるんですよね。

本来幸福って目に見えないものなのではないしょうか。
なんでもない日常に至福感を覚えることがありませんか。
たとえば家族を送り出してホッと一息つくひとときとか、

ふと感じる安らぎ、共感、充足感、充実感…
こんなものがふつう幸福ってのが一般的な好例だと思います。

幸福は目に見えない。
何気なく育んできた日々の積み重ねが醸しだす生活実感というものかもしれません。

でも、幸福は、目に見えるものだという場合もあると思います。

都合良く幸福というものを勝手に
それぞれが定義できるのも幸福ではないでしょうか。
かといってはかりにかけて計れないのが幸福ではあるのですが、

要するに厳密には客観性はないというか。
だから、いろいろ問題も起きてくるんでしょう…

曖昧なれど
わかりやすい客観的な幸福例というものはありますね。

お金があれば幸福、
人より才能や外見が優れていれば幸福、
欲しいものがすべて手に入れば幸福、
いやな人間がいなければ幸福、
やりたいことをできれば幸福、
などなど。


幸福──他人から見て「あの人は幸福だ」と言われることが幸福だと思っている人は多いのではないでしょうか。

実際には、
誰もが他人から
個人の幸福の尺度を決められる筋合いはないのであり、
幸福とは個人の内部に実感できる思いのありようなのだからして、
外から見た姿がいかに幸福に見えようと
実は不幸だったなんていう例はいっぱいありそうです。

でも少なくとも、
外から見て幸福そうだという見方をされれば、
体面はそれなりに保たれ、変な好奇心や興味本意的な噂もされない。
気の毒がられることもない。
見下されることもない。
自尊心は保たれる。
……とかいろいろ思うのが人間なんでしょうが、

いくら外観だけ保ったところで、
内部が崩壊していたら、いずれ同じ事。

だが。

実際、どーなんだ?
外から見て幸福そうなら幸福なのか。

ワタシはあまり他者に関心がないのでそうは思わないけども、
一応体面は保とうとは多少はしておるよ。

だが、世界にはいろんな他人がいて、
縁もゆかりもないのに
他人の生活に口を挟む人間もいるようである。

自分が恵まれてないのをストレートに他人の社会のせいにするとか、
怠惰だったり、もともと意地悪だったり、
妬みや嫉妬からだったり。

「そういう人間と関わらぬようにしていれば、ある程度心の平和は保たれるんだけど」
と精神被害を受けた知人は言っていた。
「あなたは不幸だよねと何度もわざわざ言いにきた人もいた」
とか。

こういう特殊なケースを除くと、あとは事情を知らないまま、
外観だけで人の幸不幸を決めるような上っ面だけのつきあいの人間が残る。

関わりを持っていない人々の生活について
勝手に語る人々がそれだ、
だが実害はわりとないようだ。

知人は創作者であった。
だが、家庭は崩壊した。
周囲は不幸な目にあったと知人を噂した。
だが、家も土地も夫もなにもかも失った知人が
のんびりと日々を楽しんでいるのを見た。

かつて高飛車な態度、
溢れる買い物、
大きな家、
何台もの自動車

なにもかも失って
穏やかに笑える日常が知人を包む。
かといって、とくべつ貧乏になったわけではない。

ちゃんと暮らしてゆける。
欲しいものは我慢しない。

だが、周囲は彼女を不幸だというらしい。
彼女は豊かなときに、多くの趣味を持ち、センスと才能を磨いた。

なにをやらせても成功すると思える女性だという噂である。

さて。


幸福を考える時、
自分が他人をうらやましく思ったことがないのを思い出した。

ワタシはそういう人間である。