摩天楼はシカゴから始まった

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近代的な都市の概念はサリヴァンが…と数日前の記事に書いたけど、

摩天楼というのが最初に出来たのはシカゴである。

誰もが知ってはいそうだけれど、
シカゴという街はいいイメージがない。

ニューヨークが一応、アメリカでは代表的な摩天楼都市であり、
あとは…好みだなあ。

シカゴっつーと、ミシガン湖に建築の発展した都市、レイクショア・ドライブ…くらいしか浮かばない。

すごく家賃が上がった時期があったし、
金儲けに小ずるそうな街であって、
マフィアの街という印象も。

だけど。
ライトに至る重要な事項でもあるので、メモ程度にでも押さえておきたい。

ハーヴァードで工学、パリ美術学校で建築学んだ

イリアム・L・ジェニー。

サリヴァンの師である。

このジェニーが10階のホーム・インシュアランス・ビルを
シカゴに建てたのが、摩天楼の始まりだとか。

さっき手に取った文庫本に書かれていた。
ちょうどいいや☆

●「アメリカ人の知恵」亀井俊介 1990 KKベストセラーズ


シカゴでは1871年に大火があったらしい。
そこから蘇るように摩天楼は発展してきたようだ。

1887-88年、錬鉄骨によるタコマ・ビル13階建て。

しかし、シカゴ派と呼ばれるこの派の活躍を世に知らしめたのは
ジェニーの弟子のサリヴァンであった。

サリヴァンの弟子がライト。
このライトについては説明がややこしくなるけど、
サリヴァンはライトほど私生活や建造物が激しく変化していないようなので
イメージしやすいんちゃうかと思っていたが
うーむぅ……そうでもないみたい。


1889年 シカゴ・オーディトリアム
1890年 ウェインライトビル(セントルイス
1895年 ギャランティ・ビル(バッファロー
1898年 ゲイジ・ビル(シカゴ)

などの当時の先駆的な作品を生み出す。

うち、ウェインライト・ビルは?H1>ライトはこれを「建築の名に値する世界中の摩天楼のキーマスター」と呼んでいる という。

とりあえず、サリヴァンについては別の機会に^^


1890年代に摩天楼建築は完成する。


ここまで。

以下はおまけ。

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後にニューヨークは摩天楼の中心地となった。


後にニューヨークには、ギルバートによって
1913年 ウルワース・ビル(60階 241メートル)

そして
1930年 クライスラー・ビル(ウィリアム・ヴァン・アレン作)
1931年 エンパイア・ステート・ビル(102階 381メートル)

後者はわずか

一年と七ヶ月

のうちに,完成したビルだという。

すごい!
アメリカの繁栄は当然のように思える。

このあと、ロックフェラーセンター・ビル群

シーグラム・ビルはデザイン的に優れたものとして1958年に、

そして
20世紀の終わりに、テロによってその姿を消した
世界貿易センター
地上110階、411メートル。

1990年刊のこの本にあるのは、
世界貿易センタービルより32メートル高いだけで階数は同じ
シカゴのシアーズ・タワーが最後のビル紹介である。

その後、どうなったかということより、
たかだか何十メートルの差で、自己顕示欲を満たそうというような
競争心丸出しのビル群が出てきたら──その時点で
発展は劣化コピーのようなものとなるのではないだろうかとワタシなどは思うのだったが。

デリバティブみたいなマネー・ゲームを生み出したりするようになった時点で
アメリカは崩壊への道を歩いていたし、

バブルという世界の資本家たちによってつくられた
罠のような時代に踊らされた日本人も
馬鹿みたいだ。

ビルの発展は進歩の証のように見えるが、

本当に人間の進歩であろうか。


都市は丸太小屋に住んでいた開拓者たちの夢から生まれた。

せめて、その原点に戻り考えるという
そういうところから

都市を見直すことなどしてみたい今日この頃である。

また横道に入ってしまったけど、終わり。


亀井俊介という名前で買った100円本だが、お得でした♪