遠い日の花火

Mは40代半ば、バツイチ、子供と元妻に養育費を送っている。

結婚は見合いだった。

35の時、21の妻と結婚、数年後、子供ができた。
職業は会計士。

Mは監査法人を体調を崩してやめ、つきあいのあった会社社長から
彼の娘と引き合わされ、婚約。

現在は社長の会社で得意分野を生かした仕事に就いている。


妻は小学生の時、母親を亡くしている。
通いの家政婦さんに育てられた。

社長には結婚の意思はなく、独身、ゲイの噂があった。

14ちがう妻は、控えめで、料理が上手で、感じやすかった。

白く、しみ一つないなめらかな肌と、細い腰、
服の上からではわからない、かたちのいい膨らんだ乳房は
Mの両手にすっぽりと入った。

若いわりになんでも一人でできてしまう器用な妻は
Mのワイシャツを数枚作ってくれた。

妻の名はY。

Yは大学にうつ病で通えなくなった。
引きこもった日々をお笑いが救った。

ものをつくる楽しみを知り、恋愛もした。
失恋後、再びうつになるが、
友達に勧められたカメラを持って街に出た。

「パソコンで編集するときが一番の幸せ」
Yが言った。

そんな頃に社長はMを見て、娘の夫にどうかと考えた。


幸福な数年が流れた。
子供ができ、仕事も順調でなんの不満もない日々。

だが、下の子が生まれたあたりで
家の中が荒れてきたなとMは感じるようになる。

それは本当に徐々に目立ってきた妻のすさんだ姿だった
朝食も作らない日が増えた。

ワイシャツが汚いまま放置されている。
その中から着れそうなものを選んで着た日もあっ
た。

洗濯、片付け、買い物、それらをMは妻のかわりにこなした。

「少しは掃除したら」
ある日、そっと言ってみた。

すると妻は
「なによ。自分は外で自由にやってるくせに、育児は大変なのよ」

部屋はどんどん荒れ果てていった。


離婚を言い出したのは妻の方だった。
Mは驚いて、妻を説得。

何カ月もないセックスを誘ってみた。
妻は応じたが、もうかつてのような安らぎはなく
おざなりな行為に終わった。

それでも、その後、ときおり妻とセックスをした。
Mは空しかった。


「別れようか」
何カ月か経って今度はMの方が言った。

「いまさら?」
妻は面倒そうに言った。

室内は相変わらず荒れていたが、上の子の幼稚園のお弁当だけは
妻は熱心に作っていた。

その余りものが、Mの朝食になっていた。

(このままでもいいか・・・・・)
そう思える日もあった。

「やっぱり別れようか」
妻がある日、淡々と言った。

「私、一人で考えてみたくなった。あなたは素晴らしい人だよ」
でもね・・・・と妻は続けた。

「自信が持てないの。私、あなたの前で堂々とできないのよ」

「こんなダメな私をあなたは何も言わずに支えてくれてるし・・・・」

「・・・・私、自信がない」

そんなことは・・・・・とMは言おうとしたが、
言葉にならなかった。


「わかった・・・・」
Mはそう言うと、妻の前で大きく息を吐いた。

妻は言った。
「ありがとう・・・・・」


あれから三年である。
Mは離婚して以後、一度も妻とはあっていない。

手紙と子供の写真は何通も届いた。

妻は料理教室に通い、レストランで働いている。
裕福な父親の家を出て、子供たちと中野のマンションで暮らしている。

義理の父親とは会っているが、
Mは気まずい思いがいつもあった。

社長は仕事と私生活は分けて考える人間だったので、
何も娘や孫については話さなかった。
それなりの配慮
だったろうが、
それはかえって、Mの気を重くさせるのだった。


ある日、妻からウエディング・ドレス姿の写真が送られてきた。

“アルバイトでモデルをやりました。十年前の私たちの結婚式を思い出しました”

嬉しそうな文面。
実際、妻のYは美しかった。

最初は初々しさと不安気なまなざしに惹かれた。
結婚式の妻も小さな真珠というか、
つぼみのバラ、ひな菊、かすみ草のような印象の妻だった。

だが、写真の中の妻は
自信に満ち、魅力的に微笑んでいた。

Mは少し嫉妬した。
この元妻の輝きはどこから来るんだろう、と。


街をそぞろ歩く。
好きだったアンティークの家具を扱っていた店が消えていた。

会社に戻った。
午後の太陽がすりガラスを通してでもまぶしかった。

どーん どーん しゅるしゅる

(どこかで花火があるんだな)

Mはこめかみを指でマッサージした。
いつもの癖だ。

ブラックコーヒーを飲みながら
遠い日の、不安気な表情の妻と行った花火を思い出していた。