韓国が砲撃された件

kita tyosenの韓国への砲撃。


四人が亡くなったが、もはや戦うことに意味はない時代に
アホちゃうか!
という突っ込みも通じない、取り残された自己尊大の国の野蛮なあがき。
日常にもしばしば出会いそうな性格、デジャヴする国家版のあの国のヘタレ非道ぶり。

報復

とんでもない話だ。
何も生み出さないだろう。

狂気の国を本気で相手にしてはならない。
説得する、それが唯一の手段。
だましてでも、争いは避けてゆくべきであると思う。

四人の尊い命。
やっぱり命は現代においては軽いな~

だけど韓国のウォン安によって、韓国の経済にはよいかもということ。
どの人も経済的な面への影響を心配している。

キ○ガイに刃物

という言い回しがあるが、あの国はまさにそのようなカンジではないか。
往来で次々と人を殺害してゆく自己卑下して人生をあきらめた人間の
身勝手な開き直りに通じるものがあるのではないか。

失うものは何もない。
こうなったのも、おまえらが悪い。
自分は悪くない。


ある番組で田中均という人が古館さんに説明していた。
この人物は、日本総研国際戦略研究所理事長。

「価値観がまったく違うんですよ。それを考えていかなきゃいけない」

当たり前のことを言っていたが、内容のの意味は深く切実だ。

だが、幼稚で野蛮な国であっても
そこにはあの国の歴史が横たわっている。
あの国に向かって、されたことの恨みつらみ、怒りや悔しさを
向けている時ではなくなってしまったように感じる。

弱い国。
愚かな国。
北と南に分かれて
偏ったイデオロギー
似非カリスマ宗教団体的あり様で構成された国家

人生は罠と思い込みと誤解と曲解と妬みと奇跡で出来ていると思う。

誰もが、放り出されて裸で生まれてきた。

真実の愛は革命的だという。

過去の規範は、真実の愛が覆すためにあるという。
最もひどいことの背後に運命の転換するきっかけが隠れているともいう。
ガラリと発想を変えられる者だけが、それに手を伸ばせるのかもしれない。

ユングによれば、人類は深いところではつながっているという。
とすれば、あの国は他人じゃあない。
正しさを学ぶ機会をなくした精神不安定な隣人のひとつであると
しておくしかないかもしれない。

理解しあえる日はきっと・・・来るといいなあ・・・・・

(修正しました)