宮沢賢治は献身という病気持ちだった!? 八幡洋「賢治の心理学 献身という病理」②
はじめに、の最後にこんな文章がある。
この本が、宮沢賢治ファンだけでなく、自分は人から愛されない、という思いを根強く抱いており、相手の役に立つことによってなんとか受け入れられようと、自分に無理を加えている現代の多くの「賢治」さんたちにも意味のあるものであることを祈る
臨床心理士として勤務している時も、賢治の本を開いていた。
私は、患者さんの転院先を交渉しては、車で連れてゆく作業を毎日行っていた。時に、披露のあまり相談室でぼんやり座り込んでしまうことがよくあった。宮沢賢治全集は、七年前のままに書架に並んでいた。しかし、私は、それらを手にする気になれなかった。私は、放心したような心で、石原吉郎や飯島耕一の詩集を読んでいた。
それからさらに七年。
東京出身の八幡さんは東京に戻る。
その間、賢治の本を読むことはなかった。
その思想に愛想が尽きたというわけではない。
東京出身の八幡さんは東京に戻る。
その間、賢治の本を読むことはなかった。
その思想に愛想が尽きたというわけではない。
たまたま賢治の生誕百年という話が出て、賢治と久しぶりに再開することとなった。
この本ができたきっかけだという。
この本ができたきっかけだという。
んで~
①でワタシは、自分が買い物をする時「これいいね」といわれるものを買うと書いたけど、実は実際には「自分がいいと思うもの」を買っていることが多い。
たまたま、自分がいいと思うものが、他人がいいねそれと言ってくれるなら一番よいのだけれども。
そいで、「賢治の心理学」に戻るけども。
あくまで人間宮沢賢治
ただ“詩人”としてなら、すばらしいと思って終わっていたと思う。
だが、この人物はありありと人生を生きた実感をのちの日本人に伝えている。
人間としての美質を備えた理想を生きようとした人として。
だが、この人物はありありと人生を生きた実感をのちの日本人に伝えている。
人間としての美質を備えた理想を生きようとした人として。
(続く)