宮沢賢治は献身という病気持ちだった!? 八幡洋「賢治の心理学 献身という病理」②

「賢治の心理学」

続きである。

はじめに、の最後にこんな文章がある。

この本が、宮沢賢治ファンだけでなく、自分は人から愛されない、という思いを根強く抱いており、相手の役に立つことによってなんとか受け入れられようと、自分に無理を加えている現代の多くの「賢治」さんたちにも意味のあるものであることを祈る


八幡洋さんは24歳の時、沖縄で理想的な医療理念を掲げる精神病院に参与された。
宮沢賢治は、精神の拠り所として常に彼の傍らにあった。

臨床心理士として勤務している時も、賢治の本を開いていた。

7年後、病院は倒産。


私は、患者さんの転院先を交渉しては、車で連れてゆく作業を毎日行っていた。時に、披露のあまり相談室でぼんやり座り込んでしまうことがよくあった。宮沢賢治全集は、七年前のままに書架に並んでいた。しかし、私は、それらを手にする気になれなかった。私は、放心したような心で、石原吉郎飯島耕一の詩集を読んでいた。


それからさらに七年。
東京出身の八幡さんは東京に戻る。
その間、賢治の本を読むことはなかった。
その思想に愛想が尽きたというわけではない。

たまたま賢治の生誕百年という話が出て、賢治と久しぶりに再開することとなった。
この本ができたきっかけだという。

んで~

①でワタシは、自分が買い物をする時「これいいね」といわれるものを買うと書いたけど、
実は実際には「自分がいいと思うもの」を買っていることが多い。
たまたま、自分がいいと思うものが、他人がいいねそれと言ってくれるなら一番よいのだけれども。

「あなたにそれ似合ってるよ」
ということはよくあるけど、「私に似合う個性的なもの」が、
人が「いいねそれ」と言ってくれるとは限らない、、、、

複雑なんであるよ。


そいで、「賢治の心理学」に戻るけども。

この本の著者は、分裂気質をモデルに賢治を分析しようとしていたが、
カウンセラーの奥様が話してくれた「不登校児」「摂食障害女性」の話で、賢治と彼らがなぜか重なり出す。

「拒食症の女の子って、何も食べないのに凄く活動的で、そんなとき、ものすごい高揚感を感じているのよ」

そこに空腹で農村指導に駆け回る賢治が重なる。

そして、精神科医斎藤孝さんのいう概念である

嗜癖

という賢治を理解するためのキーワードと出会う。

1章

で、実務家であった賢治が、描かれている。

日本男性の生き方の規範・・・なんてあったのか???
ここでは、三人、大石蔵ノ介、野口英世、そして八幡さんの推薦する宮沢賢治である。

雨ニモマケズ」は奇妙な力を持つ詩である。
宗教の教祖のようなイメージからも、聖人イメージからも、
文学者としても、浮いてしまう感じの奇妙な果実。

あくまで人間宮沢賢治


批判と盲目的崇拝、彼の一時的な法華経への熱狂を因とした批判があった
とかいうことも含め、賢治という人物の個性は、危険だとは思わないけれど、
幸福な生き方とも思われない。

ただ“詩人”としてなら、すばらしいと思って終わっていたと思う。
だが、この人物はありありと人生を生きた実感をのちの日本人に伝えている。
人間としての美質を備えた理想を生きようとした人として。

賢治を好きな人は多いし、嫌う人がいるわけがないと思っている人も多い。

自己犠牲、献身、あらゆる無駄の節約、これが彼に持っているの私のイメージだ。


この賢治の「献身」を、著者は、拒食症や過食症
仕事中毒などの現代的な病理と共通するものを賢治の内に見出し、
彼の現代性を浮上させようとする。


(続く)