邪教の「宗教的法悦」は共依存による快楽?

“カリスマ教祖”は、よく女性信者に手を出して捕まったりするが…

なぜ悟ったはずの教祖が女信者を襲うのか?
答えは、悟っていないから。

宗教によっては、性の快楽を教義に仕込む場合もあり。

たとえば、かつてO教団においては
美形揃いの女信徒にとって、A教祖に抱かれることは光栄なことだったはず。

かつては和気あいあいとした印象の教団の一面があった。

教祖への女性信徒の親しみは想像がつく。

性的な交流も、そんな親しみの延長の感情と
教祖が聖なる存在と認識したからこそ、抵抗なく身を任せたのではないか。

形としてはレイプではないが、ある意味
悪質な催眠商法みたいなやり口の性犯罪といえるのではないだろうか。

以下は想像だが。

女は三界にイエナシ、ケガレであるから
「聖者」のA教祖と交わることによって
自分の汚れが払拭されるという確信のなかで歓喜を迎えるのだとしたら?

これこそ彼らにとっては、「宗教的法悦」なのだろう。