正しい「宗教改革者」は、人間として、どうあるべきだろうか?


自称イエスがいた。

「魔」は、争いを好む者、後ろ向きな者、愚痴っぽい者、惨めな自分に泣き暮らす者、
身勝手な欲望に燃える者、偽善者、自分の事しか考えない者、その他、人間として
考えられる限りの、ありとあらゆる邪悪さや無慈悲さを持つ者すべての汚れた精神を餌とする。

こうした魔から、人々の心を守るのが、イエスの役目だったはずだとするなら、
他人に、脅したり、威圧的に接したりするのだろうか。

極端にいえば、キリス○教そのものが、一神教のカルトといえる。
法治国家とは別の法で、信徒を支配しているともいえる。
キリスト教ではイエス以外の神を持ち出すのは御法度であり、
モルモン教などのように異端扱いとなる。

つまり、新しい異端宗教の誕生なワケだ。

自分をカリスマとした、カルト宗教の体を成している自意識を持つ者はよくいるが、
なるほど、このような人物なら、人々も引き寄せられてくるだろう、というような人もいるけれど、
最低、人間として、周囲から認められる人物は、肉体的欲望の無理強いはしないし、
脅し、威圧的な態度は当然取らない。

こういう人間がイエスを自称していても、疑わない人々がいるのには驚いた。