健康的な怒りなどというものがあるだろうか? H・プレイサー(北山修訳)

健康的な怒りなどというものがあるだろうか? 危害を加えようとするものから自分を敢然と守ろうとする時──ぼくは健康的な怒りを感じている。ある人のなかに、ぼくが考えないようにしている自分のいやな面をまざまざと見る思いがする時、彼を攻撃してしまう──彼のなかに見る自分の姿をやっつけるつもりで彼までもその巻きぞえにするなら、その時に感じる怒りは病的だといえるだろう。


「ぼく自身のノオト」P.164より

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