「苦悩」という試練は必ずテーマを含み、必ず答えが出るように仕組まれています

煩悩ってなんだろうか?
苦しみを生み出すいっさいの欲望とある。

だけど、生きる事そのものが、欲望を持たなければ、生存できない仕組み。

てことは、必要な事は仕方ないが、過剰に欲望を持ったり、欲望を満たしてはいけないということになるのだろう。

しかし、人間は様々に過剰になってるじゃないか!

「お金があれば幸せは買える!」と、恥ずかしげもなく言ってる人がまともだと思われていた時代もあった。

自分の原点に戻らなくていい人々は、なんて気楽なんだ!
…そう思ったもんだ。

「真実なんてない」「真実はどこにあるか」そんな哲学の問いが、お気楽に聞こえた。

毎日が理不尽な苦しみだという真実の、渦中にいたんだ私は!

生きることは私には苦しみだった。

当時も、始終、最近のように、割れるような頭痛が続いた時があった。

「善悪の基準」がその頭痛のテーマだと理解したのは、あれこれ工夫したからだった。

病も精神的な悩みも痛みも、実はテーマが隠れている。
解答は必ず出るようになっているのだ。
わかっていても、苦しいが…