エゴイズムをくすぐるという呪詛の行く先は……?

同書庫のひとつ前の記事の続編みたいな記事になるが

前の記事の呪詛は、いわばショボい呪いについて書いていることになる。

『私が一番になりたい』
『皆に認められたい』
『俺こそが神であるべき』

前記事の呪詛の動機は、『人間』のチマチマした虫のいい動機である。

昨日、霊的な事象があった。

(この件に関しては、こちら側の意思に無関係な
霊的な存在の介入は2度目である)

見えない世界が動き始めているぞと書いておく。

これがどういう意味を持つか、わかるだろうか?

呪い、呪詛の類は、自らに返ってくると前ににも言った通りである。

呪詛の『実行者』は悪さを行っている自覚がないとは言わせない。

悪さを行ったら、それなりの覚悟は必要である。

この世では、状況に応じてあらゆる解釈が
存在を許されている……といえるのではないだろうか。

そこには、神が我々を生かそうとする意志を見ることができる。

自由な思いを抱き、動物、植物、鉱物を支配する能力を与えられている人間。

だが、厳密に言えば、あの世から見れば
どんな小さな行為でも、悪い動機で物事を行う事は許されない。

つづく