【続】エゴイズムをくすぐるという呪詛の行く先は……?

つづきである。

呪詛の実行者が、このまま進むのは勝手だが

その行き先には、悪魔が口を空けて、実行者を待ち構えている。

このまま進めば、霊的な危険が間違いなく及ぶだろう。

その時、呪詛実行者は、自分自身を省みる余裕すらなくなり、人の心は見失われ

より力の強い存在を前に平伏すしかない状況が永遠に続くだろう。

(『より強い存在』とは
心正しく優しい人間からは忌み嫌われる側の存在である)


初めは正しくとも、人間は必ず間違えるものだ。

過ちを正す道は、確かに勇気が必要だ。

しかし、与えられた啓示を、自分の実力と人間は勘違いし

固定化した概念で自らを美化し始める。

そこに『愛』は、もはや存在しない。

こんな宗教者を、我々は腐るほど見てきたはずである。

このまま進めば、呪詛実行者の探し求める存在は
2度と現れることはない。

来た道を引き返せ。
本来の自分を取り戻せ。

どんな見すぼらしい道が始まりであっても
神の道を歩き出そうではないか。

神は失敗した人間を決して責めたりしない。

人間の勇気ある姿をこそ、待ちわびていると思う。