『悟り』をめぐるテキトーな雑感(10)イエスから宇宙飛行士まで……人間の宿命という『秩序』

サヴォナローラの極端な教義に呑まれたまま
若くして亡くなったミランドーラこそは

自らの思想を、初志貫徹するべき惜しい天才だったと思う。

さて、また『悟り』は、ご存じのように、仏教やキリスト教だけにある概念ではない。

視野が狭くなって頂きたくはないものである。


そういえば、仏教でも禅宗になると、食事の準備をする事さえ修行。

つまり、これによれば
日常に『悟り』へのプロセスが存在するという考え方なのだ。

神はいろんな土地でいろんな呼ばれ方をされ
いろんな概念にまとめられたけれども

変わらないものは、太陽と地球と沢山の星々と自然の営み。

そして、生き物が生息し続けているという事。(生物の営み)

裸で生まれてきた。そして誰もが何も持たずに死んでゆく。

ここに秩序があるのを実感した者こそが
『悟った』と言えるのではないだろうか。

神と1つになるという実感が、それかもしれない。

そういえば、宇宙飛行士が地球の美しさに驚き
これままでの価値観が変わってしまい、牧師になったりした話がある。

これこそ、まさに『悟りを得た』という一例なのではないだろうか。

(11)に続く