(2)聖なるV字★『クラ』と『カマ』について……吉野裕子著 『隠された神々』講談社現代親書より
「クラ」にまつわるネタの続きである。
吉野裕子さんによれば
《「クラ」は要するにV字型に対する名称》(p.14)
であり、またV字型は三角形であり、
三角形は沖縄では女性の陰(ほと)をあらわす事も書いている。
「クラ」は、
《その範囲は鋭角のものから鈍角のものまで、
かなり広汎囲にわたっていた。
鋭角の典型的なV字型クラが谷であり、鈍角の代表が
神座・岩座のクラ、枕のクラ、鞍のクラだったと思われる。》(p.14)
《それ自体、何の神聖性もない言葉と推測されるが、宣長は
『古事記伝』において「昔、神に奉献するものをすべて
<久良(くら)>といったらしい」といい》(p.14)
柳田国男は、
「本来はすべて神の降りたまふべき処がクラであった」
と神聖性を持たせたという。
ここまで読んで、クラ、カマ、ハラなんだかんだ…
ワタシのウソかマコトか知らんが(^^;ゞ霊言は
クラ、クラとウルサイのだけれど……
イメージとしては、宇宙船なのだ。
あるいは関連するナニカかである。
同じく、霊言に繰り返される「クリ」という言葉がある。
「クリ」とは、
ヨセフ・アイデルバーグ著『大和民族はユダヤ人だった』
の中のヘブライ語と日本語の対比表にある
ヘブライ語の「クリ」が、小型の船という意味があるとあった。
(「クリ」はほかにも、着る物、器、入れ物などの意味がある)
話は戻るが、穴でしかないいろんな「クラ」が
なぜ聖なるものとして扱われていたのかについて
日本人はあまり疑問を持たずに、当たり前に受けとめている。
考えてみれば、それは不思議な事かもしれないね。
《「クラ」は、カミクラ(神座)、イワクラ(岩座)、
ミテグラ(幣)というように神事・祭事に多出する。
神座・岩座は神の顕現を伝承する岩の場合が多く、
そのためにカミクラ山、タカクラ山は神社の起源と
推測される山の名称になることが多い。》(p.15)
岩座・神座は、トンデモ関連の物好きな人達が
太古の時や方向を示すアイテムであるとか
宇宙船の着陸地点だとか、管制塔だとか諸説紛々……(?_?)
しかし、私としては別の疑問があったのだった。
なぜ神社にそうした岩座・神座があるのか?という事だ。
その疑問は、若い頃、保久良神社に行った時に氷解したような。
参道には霊的パワーが充満していた。
神霊パワーというか、樹木のパワーだともいえるかもしれない。
樹木の鬱蒼度、根の張り方がスゴかったからなぁ…
一瞬にして、大昔スゴイ方がいたか、
深い祈りがこめられているか、
宇宙船とかクリスタルとかが埋まっているのではないか
とか思ったもんだ(笑)
けれども、想像するのはそれが限界で
それ以降、意識の蓋は重くのしかかり
それから先へはなぜか進めなかった…
いにしえの人々が、「宇宙人」を神と崇めていたとは
思ってはいなかったけれど。
何らかの力のある未知の存在が
地球に来ていたのだろうとは想像していた。
しかし、それは決して神ではないと思っていた。
その思いは今も変わらない。
まあ…とにかく、エゴを除外する(参道の波動)
輝かしい波動のナニカはいたのだとは信じられた。
さてさて。
大震災後、保久良神社はパワーが増大したとか
ネットのどこかで読んだけれど。
8年前訪れた時、以前よりパワーは減少したと私は感じた。
今は復活しているかもしれないけれど。
話がまた逸れたけれども(笑)ともかく
「クラ」というのは単なる穴の意味ではなく、
歴史的に、神聖な神事と関係が深い神聖なる言葉として
解釈され、意味付けをされているのであるよ
********
ありゃ?
書いてて気付いたのだけれど、保久良神社って
保つ「クラ」じゃん
神に奉献するものを「久良(くら)」といったのだから
巨石の多いその辺りは、やはり、宇宙人の神様に
ナニカを捧げていたのかもね
吉野裕子さんによれば
《「クラ」は要するにV字型に対する名称》(p.14)
であり、またV字型は三角形であり、
三角形は沖縄では女性の陰(ほと)をあらわす事も書いている。
「クラ」は、
《その範囲は鋭角のものから鈍角のものまで、
かなり広汎囲にわたっていた。
鋭角の典型的なV字型クラが谷であり、鈍角の代表が
神座・岩座のクラ、枕のクラ、鞍のクラだったと思われる。》(p.14)
《それ自体、何の神聖性もない言葉と推測されるが、宣長は
『古事記伝』において「昔、神に奉献するものをすべて
<久良(くら)>といったらしい」といい》(p.14)
柳田国男は、
「本来はすべて神の降りたまふべき処がクラであった」
と神聖性を持たせたという。
ここまで読んで、クラ、カマ、ハラなんだかんだ…
ワタシのウソかマコトか知らんが(^^;ゞ霊言は
クラ、クラとウルサイのだけれど……
イメージとしては、宇宙船なのだ。
あるいは関連するナニカかである。
同じく、霊言に繰り返される「クリ」という言葉がある。
「クリ」とは、
ヨセフ・アイデルバーグ著『大和民族はユダヤ人だった』
の中のヘブライ語と日本語の対比表にある
ヘブライ語の「クリ」が、小型の船という意味があるとあった。
(「クリ」はほかにも、着る物、器、入れ物などの意味がある)
話は戻るが、穴でしかないいろんな「クラ」が
なぜ聖なるものとして扱われていたのかについて
日本人はあまり疑問を持たずに、当たり前に受けとめている。
考えてみれば、それは不思議な事かもしれないね。
《「クラ」は、カミクラ(神座)、イワクラ(岩座)、
ミテグラ(幣)というように神事・祭事に多出する。
神座・岩座は神の顕現を伝承する岩の場合が多く、
そのためにカミクラ山、タカクラ山は神社の起源と
推測される山の名称になることが多い。》(p.15)
岩座・神座は、トンデモ関連の物好きな人達が
太古の時や方向を示すアイテムであるとか
宇宙船の着陸地点だとか、管制塔だとか諸説紛々……(?_?)
しかし、私としては別の疑問があったのだった。
なぜ神社にそうした岩座・神座があるのか?という事だ。
その疑問は、若い頃、保久良神社に行った時に氷解したような。
参道には霊的パワーが充満していた。
神霊パワーというか、樹木のパワーだともいえるかもしれない。
樹木の鬱蒼度、根の張り方がスゴかったからなぁ…
一瞬にして、大昔スゴイ方がいたか、
深い祈りがこめられているか、
宇宙船とかクリスタルとかが埋まっているのではないか
とか思ったもんだ(笑)
けれども、想像するのはそれが限界で
それ以降、意識の蓋は重くのしかかり
それから先へはなぜか進めなかった…
いにしえの人々が、「宇宙人」を神と崇めていたとは
思ってはいなかったけれど。
何らかの力のある未知の存在が
地球に来ていたのだろうとは想像していた。
しかし、それは決して神ではないと思っていた。
その思いは今も変わらない。
まあ…とにかく、エゴを除外する(参道の波動)
輝かしい波動のナニカはいたのだとは信じられた。
さてさて。
大震災後、保久良神社はパワーが増大したとか
ネットのどこかで読んだけれど。
8年前訪れた時、以前よりパワーは減少したと私は感じた。
今は復活しているかもしれないけれど。
話がまた逸れたけれども(笑)ともかく
「クラ」というのは単なる穴の意味ではなく、
歴史的に、神聖な神事と関係が深い神聖なる言葉として
解釈され、意味付けをされているのであるよ
********
ありゃ?
書いてて気付いたのだけれど、保久良神社って
保つ「クラ」じゃん
神に奉献するものを「久良(くら)」といったのだから
巨石の多いその辺りは、やはり、宇宙人の神様に
ナニカを捧げていたのかもね