清らかな心が王の証……『魂は永遠』を自覚した“人の道”を生きたいにしえの時代

『真実はひとつです』とその霊は言った。

『人間は永遠の道と人間の道の2つの道がある』

諸条件から、現在人間に生まれているかもしれないと思った。

彼は、はじめから気持ちの入った日本語で語った。

『初めてこうして語った』

私が霊的な現象に苦しみすぎて無感覚と知っており
語りやすいようだ。
しかし単にそれだけで、託したくなるものか?

この霊が現れて、ピークだと感じた。

もはや頭はスッキリしはじめているし
脳のシグナル感応も薄らいでいる。

直感に従う1年半が過ぎ…現実が始まっている。

だが、『間に合わない。ダメダメ』な気分を
ロングスパン版で昨日味わった。

セクハラヤジにせよ、品性が求められる職業のいい大人が
いじめや嫌がらせを弱い立場の者にしてしまう無自覚。

日本の歴史に問題の根はあるだろうか?
時の権力者が、都合よく改ざんした歴史が
品性劣悪な民の代表を生むのかもしれない。

時代の空気が天変地変を呼ぶと考える向きもある…

かつては上に立つ者は心の清らかさこそが証。
天の声を聴く聖域にある存在。

民の為の政を行うには、心に迷いがあってはならなかった?