カタチに出る“奇跡”……カタチの段階の“奇跡”は、悪霊にも起こせる

カタチに出る“奇跡”は、限りなく個人的な体験だ。
他人と共有しやすい感動の場合もあるが段階的なものだ。

理解されない場合もある。
時が満ちたら、抱え込んでいた“奇跡”を他者に披露するかもしれない。

披露する事は、人間には誰でも同じように“奇跡”体験出来る
可能性がある事を示しているのではないか。

“奇跡”は、見えない世界が人間に何かをメッセージしているといわれたりする。

では、何をメッセージしているのか。

善なる存在が
『あなたを見守ってますよ。時には助けていますよ~ん☆』
という事ではないだろうか。

知らないうちに助けていただいている事もある、感謝だ☆

で、ここからが言いたい事なのだけれど。
『自分』にとっての“奇跡”は、主観的には事実であり、真実であるが――

カタチの段階は、人間は信じやすいけれど
カタチ領域では、悪霊も“奇跡”を起こせるのだ。
要注意

吟味しよう。

良い出会いのなかでカタチの“奇跡”が起きていれば
シンプルに良いものではないかと思う。
てか、それに尽きるかも。

出会いの“奇跡”は、人間には起こせない“奇跡”じゃね