霊的雑感(というか、告白も含む(3)………霊媒体質者について、ハード系な雑感です

長々と霊媒体質について書いてきたが、実のところ、私がここで問いたいのは、当時の私と
同じように、精神的に苦しんでいる人々が、何かの拍子に凶暴な人格者に、なぜ豹変するのだろうか?
という事である。

私は、実際に、秋葉原事件など、あの異常な気持ちが理解できると、何度も書いてきた。
私も一歩間違えば、ああなっていたかもしれない、そう思っていたのだ。
友達に言うと、みんな笑っていた。ありえないというのだ。
『あなたはまともだよ。なぜ、そのような事を言うのか』というような反応だ。
そんな事はない……

ここ10年間だけでも、一見まっとうそうに思えるような(私から見て)人物が、
凶悪犯であったり、猟奇的な犯罪を犯していたりするケースをかなり見てきた。
無職だがお金に困っていないとか、専門的な職業でなかなか優秀だったりとか、
女性に不自由しなさそうなイケメンであるとか、比較的恵まれた状況に見える人々が、
凶暴、猟奇的な犯罪を犯していることが多い。
殺人罪で逮捕されているのに、ニヤリと笑っていたり、太々しかったりしているのを見ると、
殺ってスッキリしたとでも言っているようで、背筋が寒くなるのだが…。
彼らは、間違いなく、霊媒体質者だったと私は思っている。

イケメンで凶悪、猟奇的殺人犯というと、ジェフリー・ダーマーや、テッド・バンディを
思い浮かべる人もいるかもしれない。
バンディは、自分で自分の弁護を務めたくらい頭が良かった。彼は、声をかけた女性が
必ず彼に好意を抱くような魅力のある男前だったが、声をかけた女を次々と殺していった。
女性への憎しみがあったのだろうが、それにしては殺した数が膨大だ。
ダーマーの場合は、たまたま異常性愛の殺人鬼がイケメンだったのだ。ダーマーの詳細は、
キモイので省略する。

凶悪犯で女性だと、映画でシャーリーズ・セロンがカッコよく演じた、ハイウエイの美しき
殺人鬼と言われた、アイリーンも異常に見えるが、まだ彼女の場合、複雑な心理は理解できる
ような気がする。
ティーンエイジャーの頃、おカネとセックスを秤にかける事を覚えてしまった、あまり良い
環境に育っていないキレイな女の子が、その先どういう生き方をしてゆくハメになるか、
想像するのは難しくないっす。
(一例:男に利用され、振り回され、傷付けられ、男を恨むようになる)

ダーマーやバンディのような知的な殺人鬼と比べれば、街角で女を襲った、電車の中で
痴漢をはたらいたなどという即物的な衝動的な性犯罪はショボく感じてしまう。

バンディを突き動かしていたものが、果たして何だったのか、チマタの分析者に任せるが、
ワタシなりに考えてもみたいが、やはり、性本能的なものが原因ではないだろうか。
(ありがちで月並みな、頭の悪い言い方で申し訳ない……)

優れた脳ミソと魅力に溢れた彼が、人間性が欠落していたのか、それとも、環境のせいなのか、
彼が不遜な望みを抱きすぎて、上手くいかず、逆ギレしたのかとか……どうとでも解釈できるが、
殺害人数が膨大である。
殺しても殺しても殺し足りなかったとしか思えない彼を、残忍な犯行に駆り立てるものは、
いったい何だったのだろうか。

彼のような大量殺人犯だけでなく、多くの猟奇的な犯罪者や、残酷に殺害しても心の痛まない
人々などを見ていて、いつも思うのは、大もとの原因は性欲の歪みではないか? という事だ。

個人の心の中は、ソトから見ただけでは計り知れないと思うが、秋葉原事件だって、
卑屈な一面がないこともないが、真っ当に生きているのに、何が不満で人生を棒に振るのかと
感じる人もいるだろう。
だが、そこに、憑依現象をはめ込むとわかりやすくなってくるのは、私だけだろうか(笑)
そして、そうした憑依現象に至る原因のひとつに、性欲の歪みが関係していると私は思っている。

こういった事を書いた本があるのだろうか。例えば、書かれているらしいものを見ても、
私にはしっくりこないからなのか、研究している人はいないのか。

心理学的説明ならしっくりくるかというと、そうでもない。心理学は、ユダヤ人の構築したものが
始まりなので、文化的な背景の違いからか、私には、しっくり来ない所もあるのだ。

スピリチュアル界隈で、フリーセックスが理想的なものとして捉える人々の群れがあったりして。
昔の繰り返しだなーと苦笑。
ラジニーシ和尚だったっけ。ビートルズが影響を受けていた。陰謀論でいう、人々を支配する為の
実験場だという説をご存じだろうか。
理趣経とか、立川密教について過去に調べたり、書いたりしたけれど、国教になろうとしていた
邪悪な宗教が、まさに男女のマグワイを通して、悟ろうとしていた内容なのだ。
タントリズムの流れだ。

フリーセックスを提唱する群れで、スピリチュアル系人間達の脳内は以下の如きかと、妄想してみる。
自分は、スピリチュアル的に、例えば
「宇宙人とコンタクトした」
幽体離脱した」
「前世を見てきた」
何でもよいのだが、悟った自覚を彼は得た。

俺は悟って、しがらみという足枷から解放されている境地に達した。
人はこれほどにココロが自由になれるんだ。心を縛られ、心が不自由な人々が、可哀想に思えてくる。
仏陀は、悟りの境地になって、このまま死にたいと思っても、迷える人々を救う為に、再び、
人々の中に戻り、救いに至る道を説き始めた。そこに倣えば、俺の様々な活動も、心を縛られている
人々の意識の解放が最重要になるだろう。
そういえば、女性は男から、「性」に縛られているなあ。男は自由に楽しんでいるのに。
女性だって、男と同等に、自由にセックスをしてもいいのだ。そうだ、セックスだって、自由で
いいじゃないか。

悟った、ところからの、発想の展開は、様々な巷の新興宗教、あるいは、宗教っぽいカタチを
成しているスピリチュアル的な集団の数々を見てみても、立派な教義や信念のわりに、
性的な部分の解釈は、お粗末である事が多い。

例えば、ある良くない例の情報の1つが、ブサメン教祖が、若い可愛い子を抱くという行為が
複数あったというのだ。若い女性は、信じているので、喜んで教祖に抱かれた事だろう。
フェ○もあったようだ。だが、後に、彼女は正気に戻ったのだろう。こんなのおかしいと。
まともな見解である。
この出来事が事実なら、直ちに、この教団は解散すべきだと思うのは、私だけだろうか。

本当に、タントリズムというか、立川密教のような、ゲロ吐きそうな邪悪さだ。
このようなデタラメな宗教に騙されてはいけない。

教祖が信者とセックスする事により、ケガレやカルマが浄化する的な発想、
教祖に尽くせば救われる的な発想は捨てた方が良い。
カルト的な悪魔的な発想だからだ。
教祖自身も、自分が、真面目に信者を救うためにセックスしてあげている気持ち
なのかもしれない。

昔、スピ系の掲示板で問題になっていた、ヒーリングサロンのヒーラー養成関連の書き込みも問題がった。
アヤシイヒーラー養成講座で、ラポールなどと理屈を付けて、性的な行為を、必要な経験
とかなんとか言って、受講者を結果的にトラウマを刻印してしまう、悪質な「伝授」者が
結構いたようだ。
高価な教授料を稼ぎ、オンナにヤリ放題の詐欺のような手口だ。なんというレベルの低さ
かと思ったものだ。
微妙な本能部分を利用して、スピ系詐欺でひと儲けを企む男性は、セックスに関しては、フリー
を提唱していなくても、グルとしての自分を特別視させるケースがある。
コレねェ……こういうの、すごーく事例を見てきたので、「男性のヒーラー」というだけで、キモイ。
ヒーラー批判は何度もしてきたけど、ハッキリとは、書けなかったような気がします。
(この記事だって、大雑把)

結論。
フリーセックスを提唱している集団の行きつく先は、せいぜい、(自称)悟った教祖との
セックスが、女性の自由なる世界への解放となるのだ、ふうに発想は逝っちゃうもんなんである。
お縄になった時は、ちっこい集団は、薬物容疑、霊感グッズ詐欺、脱税、セクハラ。
大きな教団だと、資本家に利用されたり、国家的な組織に利用されたりするのかも。
だとすれば、セクハラでは捕まらないだろう。
信者が教祖に心酔しきっている状態からは、なかなか抜けないだろうし。

オウムは教祖が女信者と子どもを作りまくった。異常である。
国の組織とも、北ともロシアとも関係していたようだが、情報が出ていても、信じない人もいる。
たぶん、出ているのは一部だけで、終わったことだから出るんだろうが、怖いよね。
一部の人には、いっさい知らされず、闇は深くなって行ったが、1番怖いのは、殺害の事実より
マインドコントロールである。少なくとも私には。

マンソンを思い出す。牢獄で、まだ生きているのだろうか。(追記:今年亡くなった)
当時はフリーセックスの流行で、キレイな女の子が簡単にマタを開いてくれるので、
マンソンは何だか幸福だった。で、みんなと暮らそうってなった。
いつの間にか、自分達が、金持ちや、有名な女優を殺しても、当たり前だ、という気分になって……
何となく、気分で『えい。殺しちゃえー』となったに違いない。気分で。

気分で、気分で、気分で、気分で……………幸せに狂っていたヤツら………

フラワームーブメントだっけ? 間違ってたらゴメン。
社会の自由な空気が行き過ぎて、殺人集団を生み出した、歴史的に有名な事件である。
これもマインドコントロールによって起きたと言えるだろう。
今も、なんか、集団で暮らすだの、が流行ってるんだけど、結局、どんな事も行き過ぎるのが常、
一度ちょっと行き過ぎたら、次は、もっとエスカレートするのも常。

いいかげん学んだらどうかと思うのだが。
人間が性欲に弱いという事実を。


さて、女性版猟奇殺人では、『人を殺ってみたかった』優秀な女子大生がいた。
こういう事件を見ていると、そういう年若い冷血人間は、世間にまだまだ潜在しているのかも。

リッチな妻が、夫を殺す、というケースや、「お受験」が絡んだママ友の子への殺意、
という事件を覚えておられるだろうか。
前者はリッチな新築マンションに入ったばかりで、夫を殺害した。
そして、遺体を切断した。これは、妻側が、夫に結婚する時、愛情があったんだろうか、
とすぐに疑問が湧いた。愛していたら、夫に尋ねるし、不満を言うと思う。
この女も可愛くない。
プライドのチョー高い女だという事は、犯行から想像できるが、殺された夫には悪いが、
彼に何の魅力があって、結婚を決意したんだろうか。

見栄っ張り同士の結婚じゃないのかね?
うまくいってる時は、お互いの中に、自分に相応しい相手かどうかを地位や収入や
財産やスキルや外見で、いつも計算していたんだろうな、と想像してしまう。
そういうところで、乾杯してたんだろうなあ。…ワインで。
時代が変われば、滑稽でしかない。

後者は、ブランド志向の強い虚栄心が強い女性が、特有の嫉妬と恨みで、ライバルの子どもを
殺害する事によってしか、自分の感情を解消できなかったと思える。
既存の価値観の中で、意識をつかまれて、勝ち負けの世界に踊らされている女性は、
妬みと自尊心で、発作的に犯罪を犯す、そういった構図はかなりわかりやすい。

だけど、両者とも、笑えない。
こういった事件は、一段上を目指して、一生懸命努力していた人間に殺意が芽生えて起こった事件だ。
ほんの少し、考え方を変えれば良かった、あるいは、自分の価値観のくだらなさに気付く事ができれば
良かったと思う。
けれど、たぶん、彼女達に助言してくれる人々は居なかったか、彼女らは、自意識が高く、周囲を
見下していたか、自信満々だったか………いやーこんな単純じゃないと思う。複雑だろうなあ。

彼女らの背後に、当然、邪悪霊はいたと思うけれど、あまりにも、短絡的で動機がわかりやすい犯罪。
彼女達の犯罪動機は、時代の責任もあるので、同様の犯罪は防ぐ事は十分できると思う。

けれども、どうにも、虚しい気分になる女性版の凶悪な犯罪で、人を殺ってみたかった』から殺った
優秀な女子大生の事件だ。
彼女は、中学か、高校時代に、『実験をしてみたかった』という身勝手な動機だけで、友人に
毒を喰らわせた過去があったというから、まともな人間性を持っているはずがない。
こういう人間は、子どもの頃から、詰め込み勉強ばっかりしてきたので、こうなったんじゃないかと
思うが、いつの間にか悪霊が憑いて、共に育ってきたんだろうな。
頭が良いイコール自分は何でも許されると全能感を持ったとも想像できる。

間違った道に入ってしまった人間に、本来の自己を取り戻せるのだろうか。
狂気と正気の間で呻くしかないんじゃないかしら……
『この薬物をコイツに食わせたら、コイツ、どうなるのかな?』
興味から、友達に食わせるなんて、もう、人間じゃない。社会の敵ダヨ。


しかし、かつては、あと一歩で、私も、そういった連中の仲間だったかもしれない。
頭の出来がイマイチだったから、彼らのようにならずにすんだのだな、という問題でもない。
誰でもなりうる可能性はあるのだ。
だから、日常、コツコツ、ハートを歪ませる事のないよう、常に、お手入れしてゆく必要がある。

では、こうした凶悪な犯罪者達のようになる状態とは、どのような状態なのだろうか。
自分の体験で言えば、意識を悪霊に持っていかれているという感覚、自分というものが無い状態だ。
まるで、自我のない人形のように、自分の意思ではなく、手足が動かされているような感覚。
自分の意思を、他人に盗まれたような状態だ。

なぜ、私は、そのヤバイ状態から、自分を解放できたのだろうか。
その事についての結論を、私は、天使との縁があったからだと思う事にしている。
それ以外にあるだろうか。
でも、実際には、それ以上に親の愛情があったお陰だという事になる。
だが、それ以上に、苦悩からの離脱を、強く私が望んでいたからだということになる。

苦悩が続く前、私は、やはり、何かに苦しんでいたのである。
それが思い出せない。
だが、最近、霊媒体質者ゆえに苦しんできたのではなく、何らかの原因があったという事に
気付いた。
そして、謎にメスを入れ始めたところである。
それについては探求中である。
終わった過去の中にあるヒントを探りながら、苦悩の原因を探ってゆく事になるのだけれど、
それができるのは、過去の出来事だからだ。


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当時の私には、思考するという悩みの重みに押しつぶされていた上、何を悩んでいるのか
わからない状況だった。
過去だから俯瞰できるという事はありがたいことだが、原因がわかってくる事が、
良い事なのか、悪い事なのか━━

【謎の苦悩】
謎の苦悩にやられていた当時の私は、『誰か助けて!』と、天に向かって、
心の中で叫んでいた。本当に切実だった。

当時、次の状況に進もうとしていた自分を、なぜか、止める力が強く働いていた。
それはカルマだったのだろうか?

カルマだったなら、そのカルマの力のせいで、私の精神は疲れと無力感で、ダメになりかけていた。
もう自分の力では、精神的に起き上がる事が出来なくなるだろうという不安な精神状態だった。
『ばあちゃん、腹減った』『気のせいやっ』という、がばいばあちゃんのやりとりではないが(笑)
今なら、『気のせいやっ』と気にしない方向に向けるのだが……
実のところ、気のせいだと思う。

悪霊なんて気のせいなのだ。
呪いなんてない。
カルマなんて無いのだ。

そういったものを『あるのだ』と思わされている人々は、カルマのある前提で歴史を刻んできた。
だから、カルマはあるのだという事になっているのだ。
しかし、表向きは、無いということになっているが。

しかし、私を留めるチカラはかなり強かった。
意志のチカラでは動けないのだ。ヘナヘナっとくずおれる感じだった。


カルマではなく、原因と結果、そういった法則はある。物理現象だ。
四季の経巡りと、人間の生死、老い、病気があるのは事実である。
同時に、生きている間、肉体は、疲れれば眠ることで回復し、怪我をすれば、治癒するように
細胞組織が働く。これだけでも、人間は生きる方向に、自然にセットされていると言える。

だけど、ただ生きていればいのかと言うと、そうではない。
なのに、私は、ただ、生きているだけだった。当時は━━

霊的な世界につながれて人間は生きている。
心の理解度に沿った人生が目の前に現れて、好みのテーマで展開し、人間の人生ドラマが
繰り広げられてゆく。そして、寿命を迎える。

心については、大雑把に言って、私の解釈は
「心」イコール「精神」イコール「霊的な世界」である。
また、人間は意識していないだろうが、たまに意識する事もあるのが、
「心」イコール「神領域」という事。

心=精神=霊的な世界=神の領域


勿論当然、神は、善そのものであり、

善そのものである事=善と悪が混濁した状態=神領

という事だと、私は考えている。

そして、カオスなのだけれど、
ちゃんと、原因と結果の理(ことわり)は遍(あまね)く働いていて、
全ては、この唯一の存在から生まれ出でているという事なのだと思う。
こういった理屈をベースにして、様々な事柄や事象を、当て嵌めて見てゆく事を、
私は天使から教えられた。

見るという事の基本が、この

善悪混在のカオス=神の領域

なのである。


悪霊の支配下から逃れ出て(長い旅が必要だった)自分の感情と感覚から成る「思考」が
できるようになってからは、この目に見える世界を、幼児のように、あちこちを方向性なく
歩き回る事になる。(「歩き回る」というのは、実際に歩き回るという意味でなく例え)

当時、動きを留められた私だったが、そのお陰で、沢山の本が読めたし、悩んだお陰で
視野も広がった。悪い事は何ひとつ無いといえば無いのだ。

特別良いことがあったという訳でもないが。
ただ、ただの馬鹿な女の子だった私が、深い視野に目覚めた事は確かだ。
すでに小説を書いていた。それは後になって、随分多くの人に褒めてもらった。
小説を書いているというだけで、異様な人間扱いされた事もあったが、田舎だからだった。
一作目の小説のあと、2作目を書こうとして、私はやめた。もし、書いたら、自分は、
気が狂うだろうという予感があった。以降は、私は馬鹿になった。



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人間は、人間関係の中で、あるいは、外で、関係性というものを考えるので、心地よい関係性
というものはどういうものかが想像できる。
他者との関係性というものを考える時、自分にとって、『真実というものが何か』と
いう事を浮かべること無しに考える人間がいるのだろうか、と私は考えてしまう。

現代は、PCやゲーム機や携帯電話などがあり、1人で楽しめるマシンだが、人間関係はなくはない。
インターネット世界にも、社会や、人間関係は濃さ薄さにかかわらず存在する。
趣味的な関係や、個人の内的世界が拡大した世界かもしれない。
どこかの実在世界(一般社会)の一部が意味を組み替えて、拡大解釈された世界かもしれない。

しかし、そこでも、ヒトはより強く真実を求めて、自分と外界との関係性を模索しているのでは
ないだろうか。
けれども、書きながら、そうじゃないヒトもいるかもしれないなあと思ってもいる。
ネットは、自分の主義主張を色濃く出せる場所でもあるので、片寄った思想を書いたり、
好きな世界を飽きもせず書いたりできる場所である。
私も、自分の書きたい事を書いている。読みやすさくらいかな、気を付けるのは。
(この記事は読みにくいと思うが)

ネットがあるから、希薄さは増すばかりの人間関係のようだが、ネットにも人間関係やら、
社会は存在するので、私は、現実世界と同じように、人間は、心地良い関係性というものを、
色々考えていると思うし、そうする時に、自分にとっての真実とは何かを、頭に浮かべていると思う。

それがあって、はじめて健全な発想ができるのではないだろうか。

では、人間関係を考える時、健全でないとはどういう事か。考えてみよう。
エゴな考え、自分の欲得を中心に据えた考えをする事。
欲得づくで、他人に思いやりのない、悪意のある考えをする事。
こういう他者は、友達面をしていても友達ではない。
自分の周囲にこういう人々がいたら、将来、トラブルを持ち込んで来る人々であるのは間違いない。

で、霊媒体質者である。
霊媒体質者は、ヒトの心がわかりすぎたりする。つまり、悪霊に憑かれているのもわかる。
友達に異様な憑き物を感じたら、耐えられないので、離れるか、助けるかになるのだろうけれど、
見え過ぎれば、苦痛、不快になって、離れなければならないので孤独、(ハッキリ言えないからね)
助けるにしても、悪霊が憑いてるという事は、本人の心の状態を表しているので、憑かれないように
なるには、本人に『あなた、曇っていますよ』と言わなきゃならないので、ヤッパリ霊媒体質者は
孤独になる。

プロ霊能者は、見えている全ては言わないのではないだろうかとは思う。もし、そうなら、
これは、お金の為でもあると思うが、身体の為でもあると思う。
責任が伴うし、ちょっとずつでないと、疲れてくるだろうから……
人気というよりは、信頼される霊能者となると、たぶん、当たる当たらないだけでなく、
言葉遣いがキチンとしているのではないだろうか。

霊媒体質者にとっての真実って何だろう?
居心地の良い関係性って何だろう。

最近起きた出来事を振り返りながら、つくづく考えたのがそれだった。
勿論、自分が1人の霊媒体質者として、考えたのだった。