(未完)様々な、この世とか、あの世とか、ブログとか、「つながる」霊的現象について…………

つい最近の霊的傾向というか、私に起きる霊現象が変わってきている。
霊現象の起きる時は、私の意思ではない事をまず言わせていただき、語ることにする。

霊現象という事じたい、ムチャクチャ主観的で、アレレな逝っちゃってる系ネタであるが。
妄想だという事にしておく。
信じる必要など、まったく無い事も言っておく。


私の指導をしていたのは、天使である。
まあ、後に書くけれど、人間には、みんな全てに天使が共にいる。
わかるかわからないかだけである。
私は天使がいる事が『わかる』というだけなのだ。

さて、私の天使たちは、イエス系の波動を持つように思うが、なぜ、そうなのかは知らない。
自分に近く精神的に最良だと思うモノが、イエスのイメージなのだろう。

天使とイエスの波動は違うと思うし。
私の場合、「波動」というモノでは、善悪、真贋を見極める事は出来ないと
学んだように思う。この事は意外と重要である。

実は、サタンは波動を使って、人間を騙す事が出来る。
間違った宗教が出来るのは、この波動を読み違えるからだと思う。
誤った神様や、生き神様を拝むようになると、次第に心がウツロになってゆく。
自分のウチに神様がいるのに、なぜか、崇高な霊の語るわかりやすい説教に感動し、
道に入ってみようと思うのは良いが、他人を必要以上に持ち上げる事は良くない。
なぜって、それは、煩悩だからじゃないか?
煩悩は、道を惑わせる事があるからだ。


人間は、一人一人が、神とつながっているので、
本来は、一人一人が、自分の内的な世界を通して、神とつながる事が出来る。

よって、精神的救いというものを、外界に求める事じたいが、間違った行いという事になり、
本当なら、まず、自分の内なる世界に、問いを立てなければならないのである。

我々には、既に、知性が備わっており、理性を持って、思考する事が出来る能力もあれば、
考えた事を、深く思案する、視野を広げる事が出来る。
他人と交流して、情報交換する為の「言葉」も与えられている。
これは、自分に足りない知恵や知識を得る為に、とても役立つ。
未知の出来事に混乱していても、知っている人々はどこかに必ずいる。

すでに、こういった、かなりの機能を生まれながらに与えられているのに、
なぜか、それらを使わないまま、何も考えないで、他人に救いを求めて走る人々の
なんと多いこと。


そして、もっと忘れてはいけない事がある。
ひとりの人間の内的な領域には、本来は、人間には一人残らず、天使がいて、
個人を指導してくれているのだ。
これは、監視や見張りなどではない。

生きる上で、目詰まりを起こしたりする自分に苦しんでいる時などに、
こういう天使たちが、ヒントや解答を教えてくれるんだから。
人間が彼らに気付けなくても、『私たちにに感謝してくれよ』とは彼らは、決して言わない。

心が素直になれば、もう、守護天使さんなんて、バンバン出て……来ないけれどね~わははは。
だけど、真剣な問いには、答えてくれる。
守護天使さんなどを、「姿」で確認している人もいるだろうが、
私は、「見る」より、「感じる」ほうだから──

天使の助言が聴こえてこないっていう人や、イメージが浮かばないという人、
モヤモヤ、イライラするばかりだお、という人も、
夢でヒントをもらったり、友達の言葉を通して可能性が開けたりする形などで、知恵は与えられる。
素直になれば、だよ。そして、真剣ならね。

私は、自分で自分の霊媒して、知る事が多い。
私の内的環境は、単純に出来ていない。
この「道」の初期の頃、奇跡的な霊現象ばかりだったせいか、そして、その上、
極度の至福感から、一転して、地獄的な領域に囲まれたりして、呑まれて苦しんで、
また、悪霊だけでなく、現実に存在する人間が、事象の裏に関わっている事や、
不穏な現象の原因をつくっている事を知ったりして、
そういった、ひどく怖い体験を何年も味わったせいで、イキイキというか、自然児のような
私の持ち味は損なわれてしまった。
だが、そのかわり、怖れを知った私の心は、他人をむやみに侮らなくなったかもしれない。
霊能力の自制心や、世界を正しく見るようにする学ぶ姿勢が身に付いたし。
いずれは、イキイキした自分を取り戻したいと思っている。

こういった「道」の世界も、現実の様々な『道』と同様、階段を何段もすっ飛ばして、
能力が板につくようになる訳ではない。
基礎から一段づつ。この世の経験が無いと、応用も出来ないし。応用して出来たら、
次のテーマがやってくるという具合だ。これは、私の場合であるが。
人生の有り様は、その個人の持っている価値観に従う。

とにかく。

この指導してくれたり、見守ってくれたりする霊体の事を、様々な呼び方で呼ぶが、
複数いれば役割は違うけれど、ここでは、まとめて、『天使』と呼ばせていただく。

天使たちの中には、前世の知人や、魂の兄弟姉妹がいるらしい。
あまり生まれてきていない存在もいたりする。

だが、少なくとも、内的な補佐をしてくれる天使たちは、
人間に生まれ変わる事が出来る資格者たちであり、
生きる上での、良きアイデアを人間に伝えてくれる存在だ。

堕天使たちや悪霊たちは、そういった事が出来ない。
人間に生まれ変われる資格を持たず、天上世界に行けないので、
人間の周囲をウロウロしている。
何故、天上世界に行けないかというと、
人間に生まれていた時に、その生きる目的を見失ってしまったからだ。

彼らは、意識が曇ったり、意思の弱い人間や、欲望に取り憑かれた人間などを見つけると、
その個人の心に入り込むスキはないかと狙いを定める。


人間は、天使に指導されている。
要するに、心の領域には、もう一人の自分がいるとも言えるかも。
心が成長出来てくると、レベルが上がり、目的に沿った天使が指導するのだと思う。
人それぞれの世界なので、はっきりしないが(笑)

以上は、天使がずっと共にいてくれている場合であって、
天使が、人間個人の気持ちとズレてきて、個人が曇ったり、不満や良くない感情に
包まれてしまったら、天使はもう人間の心にいられなくなってしまう。
人間の心が曇ったり、間違った思いが充満していたら、天使は、その心に、いくら
助言したいと思っても、人間側は聞く耳を持つはずもなく、
そこに、堕天使たちや、邪悪霊たちが、スッと入り、ポンと憑き、人間の心を支配してゆくのだ。

こういうカラクリについて、人間は知らないか、もしくは、
気付いていない訳ではないが、堕天使たちの発する情報に振り回されて、
真実を見えなくさせられて、不安や、恐怖や、不信感に誘われてしまうかの
どちらかではないだろうか。
知らんけど……

知らない人は、ただ、その事を知っているか知らないか、で、やがて、運命が分かれてくる。
感じられるか否かの違いにすぎないのだが、気付くチャンスはいつでもある。
『知ろう』という意思を立てればよい。
モノスゴイ単純さである。


これまで、様々な霊現象があった。
最近では、神的な波動に近いモノが、内的領域に何らかの善意の目的を持って、
はたらきかけていた霊的現象だが、他人が関わっていたものは、最近のように
深刻なものは初めてだった。
これは霊媒現象を用いて、悪霊を引き抜くハードな作業があるようで……というか、
もしかしたら、それが主要イベントなのかなと、書きながら、考えてしまった。
受け身で書いているのは、本当に何が起きるかわからないのだ。後からわかる。
いや、実は、本当にはわかっていないかも。
あるいは、わからなくてもいいのかも。
重要なのは、悪霊に狙われている人間の心が変わり、2度と以前の悪い思いに
引き寄せられていた自分と違う自分になる事だ。

蓄積された経験による直感で、プラス天使がとりなしの助力をして悪霊の本性を暴き、
現象化して、憑かれていた本人に、邪悪霊を客観化させて見せ、目覚め、認識を促したり、
リーデイング、分析、解釈、物語のスタートとゴールまでを解説して、波動調整して終了。
こうしたとりなしの霊現象は、言いかえれば、邪悪な影響を個人が受けていた姿を、
当人に自覚させる為のショーであるが、個人に未来が設定可能な場合のみにおいて、こういった
ショーが開催される(笑)

こういったショーが開催される人は、自分がどこかで変わらなければと思っているし、
道が見出せるものなら見出したいと願っているから、現象が起きるのであって、
一生懸命生きている人間の、限界に遭遇した時の、切実さと、深刻さというものを思う。


さて。

こういった閉鎖的な、他人を巻き込んだ霊的ショーではない、より閉鎖的な、私ひとりの時に行われる
悪霊ショーもあるのだが──
前置きが長くなった。

って、ここまでが前置きかいっ!?👊

とにかく、それについて書こうとして、説明しているうちに、疲れてきちゃった。
これから食事で、いろいろ用事もあるので、あ、それに、火山噴火の古本記事も書き出さなきゃだわ~

ラジオも聴きたいし。



(続く)

タブン…………いや、無いかも。


(随時、わかりにくい部分の修正をしている。読みにくくてすみません)