スピルチュアル系ブログの多さに関する雑考ですが(2)

(続き)

もちろん、日常で大っぴらに語れないから、ブログで弾けるんだろうけれど、
時々、その数の多さに違和感を覚えるのだ。

語ったことで解放されるだろうし、自己肯定にブログは力を貸し、元気になりも
するんだろうけど…また、今後の事を、より考えるきっかけになる。
(一見いいことづくめだ)

問題はその方向なのだ。
人間は、自分を深くする方向でなしに、大きくしたい、力が欲しいという欲の方向に
知らず知らず、行ってしまうものなのだ。外へ外へと…。

見えない世界に対して、あまりにも無防備なように思えてならない。
いつか、それなりの臨界点を迎えて、何かが起きた時が恐ろしい。
流れにのってしまう時が恐いのだ。
いずれ、虚構の自分がネット上に浮かんでいるのを見て、何を彼らは思うだろう。
新しい形の犯罪が今後起きてきそうな気がしている。


シャーリー・マクレーンの「アウト・オン・ア・リム」が出版されたのは、確かこの
コミック「星の時計のリデル」(1985年刊集英社)より後である。
「アウト・オン・ア・リム」が出た当時は、現在より、精神世界、ニュー・ーエイジなど
という言葉は、日常的ではなかった。

社会から逃避して悟りを追求する宗教団体が、凶暴な方向に暴走して、世界を揺るがした
90年代は、不安と不穏な時代だったような気がする。(恐かった)
大乗仏教」が目的の教団が、目的のために、邪魔する者を殺害しても、罪にはならない
と考えているとしたら、そんなものはカルトでしかないのだ。
生きる意志を持つ者の命は、神ですら奪うことは許されないと思う。
(今さらだけど、おさらい(^.^)

現在だったら、どういった目的の人々が、未来に、いったいぜんたい
どんな良くない問題を引き起こしてゆくんだろうか…?
想像もできない世界が、近未来に広がっているようで不安だ。