永井均 「これがニーチェだ」を読む(2)

N氏のニーチェを通しての視点は、大江健三郎氏を嘘っぽい存在にしてしまう。
「なぜ人を殺してはいけないのか」の問いかけに大江氏はこう答える。
「質問に問題がある。まともな子どもならこういう問いかけを恥じるものだ」

この反応の嘘臭さを認識する者のために役立つのが、ニーチェだとでもN氏は
言いたげだ。

この問いに、単純に理に忠実に答えるなら、自らの空しく、孤独な生を全肯定して
いるニーチェはこう答えるだろうとN氏は言う。
「私には愛する人などいないし、自分自身もいつ死んでもかまわないと思っている」

これこそがニーチェの主張であると。


「なぜ人を殺してはいけないのか」
この問いにはほんとうは答えがないとN氏は言う。
<究極的には理由はないが、「とにかく」殺してはいけないのだ、と答えるほかは
ないのだが>(p,22)
それは問う者を納得させない。そして、納得しないのが正しいのだと、N氏は言う。

<少なくともそこに真正の問いがあることを直視できているという点で、誠実さと
真理への意志において、大江健三郎より優位にあることを誇ってよい。>(p,22)

そのように、この問いをした者を勇気づける視点、これがニーチェを理解するための
第一歩であるーーと続く。