天平時代の秘宝の虫干し「曝涼」 謎の正倉院(1)

●「謎の正倉院邦光史郎著 祥伝社 1990年刊


長時間並ぶということは私には苦痛だが、それほどに「食べたい」という気持ちに
なるのは、例えば「ここのラーメンは美味しい」という情報が価値を持つからだ。

秋になると、長蛇の列ができるという正倉院の秘宝の一般展示。

「曝涼」(虫干し)のための一ヶ月ほどの期間に、天皇の「お持ちもの」
つまり「御物」を、派遣された勅使が北倉の「勅封」(天皇の命で封印されたもの)
を解き、「御開扉」にとりかかる。
一ヶ月間の「曝涼」が終わると、ふたたび勅使が、御親書の「御封紙」を持参して、
「勅封」が行われる。

うう~~~、言葉がいちいち非日常的なのだ。すんばらすい~(^O^)

<<756年、天平勝宝8年、光明皇太后が、崩御された聖武太上天皇
遺品遺物を東大寺に施入され、その品々が東大寺内の正倉院に納められた。
これが正倉院の宝物のはじまりとされているから、(以下略)>>
(p.20)


西岡常一の本のヒノキつながりで、校倉造りもやはりヒノキなので、その部分を
主に読んでいたが、当然、天智天武以降あたりって、嫌いなネタではないので、
ついつい読みふけってしまった。

とくに、藤原不比等が、三代にわたる女帝擁立に関わり、最終的に、自分の一族の
地位確立をねらい、背後から操っていた経過と、不比等なきあと、
不比等の息子藤原4兄弟の長屋王への策謀と、彼らのあっけない最期。

生き残った4人の兄弟の妹、光明子光明皇后)と、繊細な夫聖武天皇への
愛などもなかなかドラマなんである。

いろんな本でよく読むけど、ワタシの脳ミソには点の知識としてしか入らず、
聖武や光明なんて、「蘇我物部より前の話?」という錯覚が起きてるアホさ具合。(~~:)

蘇我氏が勝ったから、仏教が正式に国家宗教になったらしいくらいは知ってるよ。

(続く)