東大寺、正倉院を造った人の闇ネタ 謎の正倉院(2)

続きである。

世の中は、飢饉や疫病から逃れるため、楽を求めて、出家のまねごとをする
人々があとをたたない。僧になれば、税や労働からは免れるからである。
仏教の戒律を説く者がひとりもいなかった時代。

東大寺国分寺国分尼寺の創建は、聖武天皇光明皇后夫婦によって、形だけは立派なものが造られたのだった。
で、
あとは、中味だという事で、立派な人物を外から呼ぶため、
栄叡(ようえい)を唐に派遣し、彼は年月をかけて
ようやく見つけた高層、鑑真に来日要請をする。

鑑真が太宰府に着いたのは、東大寺大仏開眼会(752年)の二年後だった。
(栄叡はすでにこの世にいない)

こうして、古代神道がすたれて、仏教が国家宗教となってゆくまでの話は興味深いが、
裏側の宮廷の闇ネタはそれらをひっくり返す。

聖武天皇には当然他に妻がおり、子も何人かいて、光明皇后が自分の生んだ
女の子(考謙天皇)を跡継ぎにするには、もしかしたら邪魔かもな男子、安積親王がいた。

この光明にとって目の上のタンコブ安積親王は謎の死を迎えるが、
異例の出世をとげた藤原中麻呂と光明は、この事件の前もあとも仲間であるのはちがいない。
でも、いつでも、あらゆる事実は闇に隠されるものなのだ。

私にとって、この本の読みどころは、藤原中麻呂の果てしなき野望によって、
正倉院がことごとく彼に政治的に利用されてゆき、頂点までゆくも、
760年、母親光明皇后が亡くなり、孤独となってしまった生涯独身だった
考謙女帝がすがった呪術師道鏡に、まさか中麻呂が滅ぼされるとは!      
 …あたりまでかなー。


非常に興味深い。

以前はそれほど道鏡なんて汚(けが)れたタラシ坊主にしか思っていなかったし、
考えるのも不快で無駄だと思っていた。

この本は心理的に掘り下げてるわけではないが、正倉院の役割にこだわっている。
正倉院をどう意味付けたかに、天皇一族にまつわる周囲の野心が見えかくれして
いるように描いている。
信仰とかの本質についてとか、女性や人間の弱さについて、想像しやすかった。

(終わりたかったんだけど、続くよ~(ーー:)