「恋の手ほどき」(1)少女の輝きを描いた、男性がわ目線の映画
舞台は1900年のパリ。
19世紀生まれのオノレ・ラシャイユは、初老の独身で、
今でも美人女性を見ると、あとを追いかけてしまう遊び人。
19世紀生まれのオノレ・ラシャイユは、初老の独身で、
今でも美人女性を見ると、あとを追いかけてしまう遊び人。
オノレのかつての恋人マミ-は、貧しい暮らしの中、
大金持ちの愛人になりそこねた娘のかわりに、孫ジジを淑女教育中。
大金持ちの愛人になりそこねた娘のかわりに、孫ジジを淑女教育中。
プレイボーイのオノレには、プレイボーイの甥ガストンがいるが、
このガストンとジジは幼馴染みである。
(という設定)
このガストンとジジは幼馴染みである。
(という設定)
ガストンは浮気な愛人と別れて、気晴らしにジジと海に来るが、
ガストンはジジがいつのまにか、1人の女性として、
魅力的に成長していたことに気づいて、本気になって恋をしてしまうのだ。
ガストンはジジがいつのまにか、1人の女性として、
魅力的に成長していたことに気づいて、本気になって恋をしてしまうのだ。
さてさて、
玉の輿に乗せたい孫を、一時の遊びの相手にされてはと、
祖母マミーは、ガストンとジジのこれまでの気楽なつきあいを禁止する。
マミーはガストンに、ジジが欲しいなら、きちんとけじめをつけるべきだというのである。
玉の輿に乗せたい孫を、一時の遊びの相手にされてはと、
祖母マミーは、ガストンとジジのこれまでの気楽なつきあいを禁止する。
マミーはガストンに、ジジが欲しいなら、きちんとけじめをつけるべきだというのである。
ガストンは、気楽にジジをカフェへすら連れだせないことにいらだつが、
それこそ、マミーの策略だった。
意外なことにそれは結婚ではなく、愛人契約の意味なのだ。
それこそ、マミーの策略だった。
意外なことにそれは結婚ではなく、愛人契約の意味なのだ。
私はこの物語は、ぶっとんだ設定だと思っている。
ガストンとジジは身分違いだが、いくらなんでも、大事な孫に、
愛人になれなどと、すすめることができるものだろうか。
愛人になれなどと、すすめることができるものだろうか。
しかし、なんとなく不自然な設定も、舞台がパリゆえに、納得させられてしまう。