人生とは、どんどん悪くなるだけの時間?

若い頃、いくつか習い事をしていた。
そこで知り合ったある上品な60代の女性がこう言っていた。

「何か不運な出来事があって?今が最悪でも、大丈夫。これからきっとよくなるから?と励ます人がいるけど、応急処置としては最善だと思うけど、事実は、人生って歳をとって悪くなることはあっても、良くなることは決してないのよ」


彼女は若い時期に歌手をしていた。
玉の輿に乗り結婚。
夫をはやくに失ったものの、子供達は自立し、
当時マンション経営者で、裕福な自由人だった。
彼女はこうも言った。

「体は老いて醜くなってゆくばかりか、邪魔者扱いされて嫌われ者になるだけ。歳をとるってそういうことよ」

この言葉は個人差が前提にある。
言ったご当人はといえば、お友達が多く、成人した子供達とも仲がよかった。
邪魔者どころか、彼女を認めない人はたぶん周囲にはいない。
目立つ人ではないのだけど。
(最低条件の健康と歳相応の美はクリアしている)

垢抜けたすきのない装いの意味を理解させるためであるかのように、
サラリとこうも言った。

「生きていても決して良くはならない人生に打ち勝つ武器は、女性なら美しさやセンスね。それに魅力。そして大人であることよ」


うーん、とワタシは唸った。
その気迫にである。

おっと! 忘れていないか。
お金は? お金がなかったら美しさもセンスも得られないのでは?
残念ながらこれは聞いていない。
聞いたならきっと、彼女はこう言うのではないだろうか。

「お金ねえ…。それがあっても、魅力的な女性であることを捨ててる人は動物ね」


以下は彼女の語録である。こういったことはよく文で読むけれども、
ピリピリするような実践者から聞かされると、リアリティがちがう。
ある意味、何かを目指すための「方法論」にさえ思える。

「ブランド物? 若いときは夢中になったわ、そのことの馬鹿馬鹿しさに気づくまでね」

「いやなことがあっても、顔に出さないこと。サラッとかわして、いやなことを考える時間を、自分が楽しむ時間に変えるの。それが大人」


*******

「生きていても、決して良くはならない。」

いつしかこれが自分の中で、人生というものを見る時に基本認識となったけど。
でもこれって後ろ向きとは思わないけど、もっと明るくてもよかったんじゃないか。
だけどこの考え方が、人生はどんどんよくはならないからこそ、
「今」を充実させようという願望になって、
いつも前向きに生きられるようになれていたのではないかと思う。

女性のダンディズムについて語りたいと思ったのだが、
話の方向がちょっと自分寄りになりすぎたような…。

テーマが幅広すぎるかな。
現実には、どこで解釈するかだからなあ。
それに、人生は山あり谷あり、それがおもしろいのだけれど。
ていうか、恥ずかしいこと、頭にくること、理解に苦しむこと多し。
それが現実。
毎日、自分を立て直してる。

まとまらぬまま、オワリ。


哲学的すぎ。