ダンディズムは創作のテーマ(1)
なのである。
たぶん長くなりそうなので、いくつかに分けて段階的に書いてゆきたいと思う。
たぶん長くなりそうなので、いくつかに分けて段階的に書いてゆきたいと思う。
まず、同性愛は、ダンディズムの極致的状況ではないだろうかと感じる。
ダンディズムを書きたいなと思ったら、同性愛にテーマが絞られていった。
オスカー・ワイルドなど唯美主義者の「獄中記」著者である彼は、また、
女性のダンディズムを書いた作家でもある。
ダンディズムにこだわって生きた作家でもあった。
(ワイルドの野卑な唇はセクシーだと思ったことも触れておきたい)
ダンディズムを書きたいなと思ったら、同性愛にテーマが絞られていった。
オスカー・ワイルドなど唯美主義者の「獄中記」著者である彼は、また、
女性のダンディズムを書いた作家でもある。
ダンディズムにこだわって生きた作家でもあった。
(ワイルドの野卑な唇はセクシーだと思ったことも触れておきたい)
さて。
オスカー・ワイルドは美貌の妻がいたが、同性愛事件がもとで破綻した。
ワイルドにとっては、同性愛は趣味であるダンディズムの具現化の姿だと思うが、
人生を賭けた趣味になってしまった。
二年に及ぶ獄中生活から出ても、彼はかつての輝きを二度と取り戻すことは
なかった。まだ若かったが、みじめに老いて死んだ。
サヴォイホテルだったかな。資料も見ずに書いてるので。
というのも、ワイルドの「獄中記」は高校時代、読んでたからなー
坂口安吾を文芸部部長は読んでたんじゃなかったか。
オスカー・ワイルドは美貌の妻がいたが、同性愛事件がもとで破綻した。
ワイルドにとっては、同性愛は趣味であるダンディズムの具現化の姿だと思うが、
人生を賭けた趣味になってしまった。
二年に及ぶ獄中生活から出ても、彼はかつての輝きを二度と取り戻すことは
なかった。まだ若かったが、みじめに老いて死んだ。
サヴォイホテルだったかな。資料も見ずに書いてるので。
というのも、ワイルドの「獄中記」は高校時代、読んでたからなー
坂口安吾を文芸部部長は読んでたんじゃなかったか。
えーと、話をもとに戻すと、同性愛は、ダンディズムの極致的状況では
ないだろうかと感じる、というところから。
ないだろうかと感じる、というところから。
ふつうの男女のカップルを「ヘンタイだわっ!!」と言ってのける
「同性愛嗜好者」から見れば、おかまとおなべが結婚して、
戸籍上はなんの問題もないカップルに対してさえ、
夫役のおなべが「妻(♂)のために子どもを生む」というような、
どんなに男前なことをして一般的社会である周囲が評価しても、
「いや~ん、そんなのヘンタイだわよ!!」
と体全体をヒネリながら悪態つけてきそうだ。(笑)
もちろん、ジョークとしてであるけど。
「同性愛嗜好者」から見れば、おかまとおなべが結婚して、
戸籍上はなんの問題もないカップルに対してさえ、
夫役のおなべが「妻(♂)のために子どもを生む」というような、
どんなに男前なことをして一般的社会である周囲が評価しても、
「いや~ん、そんなのヘンタイだわよ!!」
と体全体をヒネリながら悪態つけてきそうだ。(笑)
もちろん、ジョークとしてであるけど。
同性愛者は、時代を先取りする達人としてもてはやされている。
しかし、あのハリウッドですら、「自分はゲイです」とカムアウトして
干されることがなくなったのは1990年代だった。
日本は、マイノリティだけど、承認されていたゲイもいたのだから、
感覚がアメリカと違うかな。
しかし、あのハリウッドですら、「自分はゲイです」とカムアウトして
干されることがなくなったのは1990年代だった。
日本は、マイノリティだけど、承認されていたゲイもいたのだから、
感覚がアメリカと違うかな。
おかまやおなべが、本来求めるべき同性でなく、異性と恋に落ちてしまうことは、
社会の同性愛や倒錯愛行為者への偏見を拭い、まちがってるにせよ、
理解を深め、認知度が広がることに貢献しそうなのだけど、
そういえば、本来のあるべき姿ではないような気もする。(笑)
同性愛者は、彼らを異文化と捉えるように思う。
そうだね。確かに異文化かも。(笑)当然、今はマイノリティ。
長年蓄積されたおかま文化や伝統?に対する反逆かもね。(笑)
社会の同性愛や倒錯愛行為者への偏見を拭い、まちがってるにせよ、
理解を深め、認知度が広がることに貢献しそうなのだけど、
そういえば、本来のあるべき姿ではないような気もする。(笑)
同性愛者は、彼らを異文化と捉えるように思う。
そうだね。確かに異文化かも。(笑)当然、今はマイノリティ。
長年蓄積されたおかま文化や伝統?に対する反逆かもね。(笑)
では、同性同士の結婚はどうか?
同性どうしの「結婚」は戸籍上のさまざまな制度を駆使して行われるんだろうけど、
「家族」となるのだから、そこにはお互いに責任が生じる。
ひとつのけじめをつけることのできた者を、社会は単純に評価する。
同性どうしの「結婚」は戸籍上のさまざまな制度を駆使して行われるんだろうけど、
「家族」となるのだから、そこにはお互いに責任が生じる。
ひとつのけじめをつけることのできた者を、社会は単純に評価する。
けれども、こんなに簡単に社会に認知してもらえる人々を、
孤独なゲイ達は腹立たしく思わないだろうか。
彼らは長いこと、欲望の先が異性でないということで、自分達が
「社会的にみて無意味な行為をする者である」という自覚がついてまわり、
常に他者から自己否定される不安と向き合ってきたと思う。
努力と才能で社会的認知を獲得した独り者のゲイも含め、
そんな同性愛者の多くから見れば、長期契約で結ばれた同性愛者は、
どうしようもなく嫉妬と羨望の対象だと思う。
孤独なゲイ達は腹立たしく思わないだろうか。
彼らは長いこと、欲望の先が異性でないということで、自分達が
「社会的にみて無意味な行為をする者である」という自覚がついてまわり、
常に他者から自己否定される不安と向き合ってきたと思う。
努力と才能で社会的認知を獲得した独り者のゲイも含め、
そんな同性愛者の多くから見れば、長期契約で結ばれた同性愛者は、
どうしようもなく嫉妬と羨望の対象だと思う。
でも、芸能人で才能豊かな人で「結婚」してる人がいるけど、
「結婚」してようが、同棲してようが、コミカルでバラエティ系のくくりで
完結してしまうタイプのタレントだったら、関係ないですね。
「結婚」してようが、同棲してようが、コミカルでバラエティ系のくくりで
完結してしまうタイプのタレントだったら、関係ないですね。
ふと、ダンディズムを表現してる人には、性的魅力は不可欠だと思えてきた。
あ~疲れた。頭の中がぐるぐるしてきた。
とりあえず、今回はここまで。
とりあえず、今回はここまで。