悪口を言うには相当の覚悟が必要である

●「悪の対話術」福田和也著 講談社現代新書2000年刊


「悪口について」の項目を読んでいた。

人生には、
争いや断絶、そして誤解、曲解、そしていじめなど・・・
様々な事件が常に起こりえる。

誰もが、
いろいろ浮かんでは消える想いのなかで、
納得しては否定し、またひっくり返し、
ああではないか、こうではないか、
あいつが悪い、
こいつのせいだ、あいつさえいなければ・・・・

自分の存在を賭けて、
自分自身の記憶や経験や知識と理性が
常ににらめっこしてるんじゃないだろうか。

出来事が自分に直接関係ないことであっても、
たとえば、
政治や経済や世相、芸能人の噂、
メディアのあり方などにしてみても
どこかで私たちと関係してくることばかりだ。

でも情報が溢れすぎていて、
選択しようにも判断に困るのが本音。
メディアから流れる情報も、どこまで事実かさえアヤシイし。
あちこち見るには膨大な時間がかかる。

そこには、いっこうに解決しない問題、前進しない問題があちこちに山積みである。

で。

話を戻すと、メディアから流れるもので、身近ではないけれど、
へたをすると身近な問題になりえるものとして、
事故や、裁判事件やいろんな事件のニュースがある。

明日は我が身。


最近、周辺で起きているいろいろな出来事もそうだが、

解決がつかない、長引く、複雑化する、問題の核心からずれてゆく

ように見えるが、
なぜそのように解決から遠のき、複雑化するんだろうかと思う時、
現実の人間関係を思い浮かべると理解しやすいというか・・・

社会にはしばしばあることだったりするわけで。
普通に生活していれば、誰でも経験していることだといえると思う。

「私にはそんな他人と争ったり、嫌われたりしたことなんてないです」

なんて人がいるとすれば、
魅力も何の能力もない人だろうと思われてるかもね。

たとえばあやしげな宗教にからめ取られやすい人は「善人」こそがそうなりやすいわけで。

争いだって、「善人」のほうが
渦中に入り込んでしまうと、
お約束の視野狭窄状態が待っており、

もはや振り出しに自分を戻すことなど、その場にいては不可能に近いのである。


これは経験から確信を持っている。

なぜ自分がこんな目にあってるの?
なぜ誰もわかってくれないの?
こうなったのは、あの人がこう言ったから、この人があんなことをしたから

他者が見るのは、
全体からで、
イメージからで、
先入観からで、
決して個人の主観的事情からではない。

イメージとイメージが比較されて、あらたなイメージが創作され、
事実から遠く離れたところで、
主要人物は脇に置かれ、
行動、言動の是非を問われることになるのではないだろうか。

気分、印象、苦しい状況から解放されたい思い、
意見の合う仲間に
ある人物への印象を吐いた。
ちょい口がスベッタ☆
こういったことはよくある話。

だが怖いのは、

そういった事実の積み重ねが、次の憎悪と妄想を呼ぶことである。


通常は

人間関係は複雑であり、悪口は相当にリスクが伴う。


社会で普通に働いている人ならこれは常識であろう。

同じ悪口であっても、

三国時代曹操を罵った文人陳琳

という人物は、
あまりにも見事な悪口だったため、曹操はこれを許したということだが、
そういった、
悪口であっても、的確であったり、
ふとしたおかしみがあったりした場合、
ギャラリーや悪口を言われた当人でさえ
喝采するという場合もある。
(「悪の対話術」福田和也著参考)

しかし、そうでない場合は、

悪口を言う

という事は、かなりの覚悟が必要だと思うべきではないだろうか。

悪口を言ってしまったという事実の上で

引き受けるリスク

というものは、
考えてみるべきポイントだと思うが・・・。

どうせ悪口を言うならば、
面白いことをいえば、
リスクを恐れることもないのではないか。

福田和也センセイは、

あだ名をつけるのが、さほどのリスクもなく、効果的

だとおっしゃっておられるぞよ。

『なんだ、あだ名か、などと云わないでください。悪意がこもり、なおかつ誰もが思わず口にしてしまうほど被害者のマイナス面を捉えたあだ名というのは、かなり致命的な効果があるのです。』(「悪の対話術」P.47)

スキャンダルを捏造し、一気に失脚させるインパクトはないが、
あだ名をつけられた相手に軽蔑を蔓延させる効果があるのだそうだ。
あだ名は効果的な悪口だそうだ。

リスクを恐れず、相手を攻撃したい人へ。

でっちあげた悪口(虚偽)を蔓延させられるかどうかは、
虚偽を言う側の言葉が信頼されるかどうかによるらしい。
もう一つ。
悪口を言われる側(被害者)の性格などから、いかにもありそうかどうかによるということ。

要するに、日頃信頼されている人がですね、
その信頼を利用して、
恨んでる相手のデマを流し、定着させることも可能だという事。

この本では、広告代理店の女性が積年のセクハラの復讐に、
上司を盗撮マニアだとデマを流したという話が書いてあった。
上司はいかにもそういうことをしそうに見え、
他の女性社員からもセクハラで恨まれていたという
土壌があって、デマは事実とされてしまったとか。

怖い話である。


たかが「悪口」の話であるが、
大福さんは、さすがだ。

童顔のこの人の恋愛論は読めなかった

が、
悪口とかには詳しいわ(笑)

ここらで書いておかないと、精神衛生上よくないので、いろんな本を参考にしようと読んでたのだけど、
これが一番スッキリした。

要は

「悪口」

のことで引っかかってたんだな、私は・・・・

独り言っす(ーへー;)


でも、

まあ、

ある本の題じゃないけど、
人間はみんなビョーキだよなあ・・・
深く考えることもないか(苦笑)