恋にスピーチは必須よん♪

恋愛映画には、スピーチが付き物である。

who様のゲスブのコメントで、
ローマの休日」の王女の
スピーチの内容にふれられてたので
思い出したんだけど、
(王女のスピーチでなく、新聞記者のだったかも。
今観てるんだけどね)

この映画って、リハビリの映画だと思うのです。

王女は鬱になっている。
鬱というよりノイローゼかな。

とりあえず気持ちが鬱、、、、で、鬱で統一しますが、

高貴な身分として、下々の者達に賛美される立場であり、
同時に
持てる者として、
持たざる者に富を分けたえねばならぬ立場。

光に包まれた美と幸福の象徴。
スケジュールづくめで、

スピーチはもう決まっていて(オバマさんみたい)
自動車会社、孤児院、貿易会議、
船の進水式。軍隊のパレード、舞踏会……

休みはなく、ストレスの連続が王女を襲うのです。

限界に来て、町のざわめきに惹かれ、寝室を飛び出します。

そして、最後に、
恋愛感情が生まれる時、
王女は自分の現実に目覚めるのですが、

鬱がきっかけとなって
恋を知らない王女が
恋を知って大人になるというのは
なんというか
現代的だと思います。

今は
下々の者達が年がら年中ストレスを感じていて、
プレゼンテーション、スピーチ、
受け入れられるか、拒否されるか、

仕事だけでなく
恋愛にもそう。

現代の日常がスピーチの出来と、
商品の売り込みや宣伝でできている
というのは言い過ぎでしょうか。

ローマの休日」の頃は今ほどじゃないでしょう。

今ではスピーチの出来が、人生を決めるということもありえます。

顔より、身につける物のセンスより、
スピーチが決めてということもある。
お笑いの不細工キャラがもてるのは、
昔以上に不細工キャラを生かした
諧謔センスに感心するというよりは、
ほんとにもてているというか、

不細工に対してマジでセクシーに感じてるというか、
そんな感じがします。

昔なら、

悲しき道化

みたいな、
哀愁と哲学的知性が
不細工アホキャラにはあったんじゃあないかな?

アホの坂田
藤山寛美(漢字ちがうかも)
など、
なんかもっといっぱいいたぞ。
ポール牧は入れていいものか…

ともかく、
才能は折り紙付きというか。

でも、もててるとかでなくて、
いえ、個人的にはもててるんでしょうが、

不細工キャラは

「芸」

として見られていたように思う。

ところが今は
「芸」というより、「個性」になっている。

日常と演じるキャラとが同じだったりする。
だから、
不細工を生かしてお金になる道を
上手に探ってそれを見つけた人は
セクシーに見えたりするんじゃあないでしょうか。

キーポイントは

どこにもない個性

かな?

たぶん、男性は女性とちがい
イケメンなだけでは、もてない時代ではないかと。

セクシーな不細工…
うん。いますいます。

あれ?
なんでこんな話に???

ああ、スピーチの出来で
もてるかもてないかが決まるって話ね…

だから、
表面的なものの出来具合で、
その人物の魅力や価値が決まるんですよ

たぶん現在では…

見える部分とは、顔ではなく
内面が外に出ている部分で
自分で自分をどうプロデュースするか
というその内容だと思われます。

言い方を変えれば
生き方や表現センスの出来がすべてというわけです。

内面の時代

ということでしょうか。

ある意味作為的な内面

と言えると思うのですが…

お笑いの不細工キャラがもてる訳は、

ストレスにさらされた人間が多い時代に
そういう人々を癒す才能は
何よりも価値があると見なされた
のではないだろうかと思うんであります☆

ストレスがなくなる時代なんて
とうぶん来そうにないもんねえ~^^;

時代の求める価値も
変われば変わるもんである。

さて。


本来のスピーチの話に戻るが
スピーチはよく恋愛映画に用いられる。

真っ先に思い出すのは、
ブリジット・ジョーンズの日記
「トゥウィークス・ノーテイス」
好きな映画です。

前者は

女性のスピーチが男の心を動かします。
ブリジットは、
イギリスから優秀な人間がいなくなるのは惜しい、
という場の雰囲気(男の婚約発表)
からズレたスピーチをしますが、
男には伝わるのです。
女性の気持ちが。
男、マイクは婚約者と別れ、
ブリジットに会いに来ます。
二人のずれや誤解は見事融解して、ラストのキスシーンへ。

後者は

男が女性の心をを動かす。

男のもとを去ろうとする女は
彼に惹かれる自分に素直になれない。
おまけに男は約束を破った。
「コミュニテイ・センターは取り壊さない約束だったはずよ」

男の裏切りへの怒りと
それゆえに
素直になれない心との葛藤。

でもこの裏切りは
男にとって、
保護者?の兄との決別と
自立のきっかけになる出来事。

女性への愛情に説得力がないのは残念ですが
最後の起工式(だったかな)のスピーチで
男はコミュニテイ・センターを残すと
スピーチしたらしい。

そのシーンは出てきませんが、
ラストの方で、男が女に原稿を読み上げるシーンがあります。

彼は女によって、自分の価値観を捨て、良き価値観を得たと自覚するに至った…らしい。

普通なら心を動かすスピーチです。
それでも素直になれない女。

だけど、しばらくたって男を追いかける。

ラストはお決まりのキスシーン。

ハッピーエンドであれ、
恋愛は、どうも女性の自然な美貌では
男は気持ちを動かさない。

モニカ・ベルッチなみの
ダイナマイトボディ付き美貌なら
ひと目でフラフラになりそうですが。
運命を狂わす美女というのは少なくなったように思います。

そういう美女って、子供時代に何かあったとしか思えないけどね。

昔、あこがれの美女がいたけど、
考え方が健康で健全、
今の時代にならもてはやされたであろう
アスリート美女でした。

男のふり方がかっこよかったなあ~

自己表現できる美女、
スピーチできる美女の一人でしょうね。

ひくてあまた

でしたが。
知ってますか? この言葉。
モテモテってことっすよ(^^)

男の運命を狂わすにふさわしい
肢体と美貌のその方は
運命が決して狂うことなく健康的に恋愛して(^o^)V
当然のように玉の輿に乗られました。

周囲はさぞおもしろくなかったことでしょうが。

それはさておき。
スピーチで人々の心を動かすほどの人は
やはり健全なのか、
ヒトラーのように異常なのか
わかりませんが、

前回の記事の梅屋のどらやきではないけど、
変わらないことがこの不況の時代、
共感されるようですが、

しかしここに変わらないものがありますと
大々的に宣伝することで、
売れてゆくという成功に結びつくのも事実であって

成功のためには、
お金をどこにかけるかが問題ということでしょうか。

スピーチではないが、
存在をアナウンスするという意味においては
新聞による大がかりな宣伝も似たようなもんです。

ヒトラーは宣伝にスピーチを用いたのだから。

悪しきスピーチに騙されぬよう、
アンテナを張り巡らし、
視野を広げるようにしましょう。

結婚も恋愛もギャンブルだという人がいます。

とくに女性にはギャンブラーであると。

幸福の条件」という映画の中で
ロバート・レッドフォードデミ・ムーアに賭事の付き添いを依頼するシーンがあります。

「女性がそばにいるとツキがあるから」

というのです。

カードではダメだったものの、
ダイスで実際ツイてなかった男は、
女のおかげで一億ドル勝ちます。

私は同じような体験が外国のカジノであり、
といっても、
デミのようにダイスをふったわけでなく
そばにいただけ。

不思議にツキが戻ってきたというから、
そういうものなんだろうかと思ったことがあった。

と書くとロマンティックですが、賭けてたのは親戚の人なのだが。
(書かない方がよかったかしら?)・・・・・・(゜_゜;)

政権交代民主党がギャンブラーとなって、
ダイスをふった?と考えられるかも。

そばに女性は…いたのかな…
幸さんかな。

うーん。
政治家はギャンブル気分ではいけないね。

でも、国民にとってはギャンブルだったかもしれません。
いけないとかいいとかでなく、
命の選択だったと思います。

死ぬか生きるかの賭けだよねえ…。

まったく自民党
なんて政党になっちまったんでい☆
総理を支えて欲しかったな。
呆れるのもわかるけど…もはや新しい船で日本は進み出した訳ですが。

「一年たてば自民党と同様に汚れてくるだろう」

そう民主党の未来を予告する人もいます。
さもありなん。

ところで。
ダム建設中止で多くの人々に影響があります。
財源確保の陰で泣く人がたくさん出てくるでしょう。

どうするのだ?

まとまらぬまま終わり。

(修正したけど、まだ読みづらいかも。ごめんね)