ロフトというかっこいい居住空間 (他にネタ二つ)

イメージ 1

(画像と文章は関係がないけど、
80年代後半の本から抜粋したおしゃれな部)

アルクデザイン様の賃貸マンションのデザインで思い出すのが
ワタシ自身のロフト嫌いである。
まず風通しが悪い。
使い勝手が悪い、そういうイメージがあって。

だが、昔はともかく、
建築に興味を持ってからは、
ロフトが好きになってきたのだった。

北の方にあっては、
ロフトは冬は暖かい寝室となる。

賃貸物件を探す時、たとえば札幌の場合、
普通に好かれる角部屋やただ広い部屋は
間取りによっては好かれないと思う。
一階も寒そうだ。

冬が長い土地は、たいていストーブ付きだが、
灯油とガスではずいぶん光熱費に差が出る。
(都市ガスだとお得だろうけど、灯油の方がやはり格安では?)

北では二階以上で、階下も駐車場でなく居室で
両横に部屋があり、
灯油ストーブ付きであること。

できればロード・ヒーティング付きで、
買い物便利で、駅に近いこと、
になるなぁ。

駅近と言っても、地下鉄に近いこと。
JRじゃあないよ?

東京はJRに近いのが便利なのだが、
札幌は違う。
地下鉄駅に近いならどこでも構わないほど、
地下鉄が便利なんである。
(だよね?)

んで、
豊平川あたりで風景がいいからといって、
場所によってはヤバい事務所もあったりして(-。-;)

ワタシなら、そうだなー
一人なら、
西区、桑なんとかって場所か、(桑園かな)
円山公園、18軒、27軒だっけ?
がいいなあ。
円山公園って、高級っぽいかな。

なんとなくネット情報と自分の経験で
感じを書いてみました。

まちゃこ様、どうっすか?  d(^.^)b

クルマの人は駐車場付きでないと、ですね。
屋根付きがグッド♪

んで、ロフトのネタの続きである。
若い頃、かつて住んでいた普通の間取り、
いわゆる十畳ほどのワンルームに住んでいたワタシは、
知人の
「今度引っ越すところは、吹き抜けがあって、ロフトが付いてるんだよ。いいでしょ」
などの話を無視することができた。

本当にロフトが嫌いだったのだ。

ただロフトが付いていると天井が高いので、そこは憧れだった。

ロフト、吹き抜け、ブリッジ、高い天井高、大開口、広い階段、
緩やかな螺旋階段、アティック、まー並べればきりがないが、
若い人には憧れだったりしないだろうか?。

スタイルのある暮らし、
こだわりのある居住空間、
かっこいい空間、家具、オブジェ。
80年代はそういった感じで、

お金に糸目を付けず、
ずいぶん大胆な物体を次々創り出していた時代だったと思う。

知人もそうだった。
かっこいい家は、
スチールパイプのまっすぐなハシゴのロフト(画像のような)、丸窓、モノトーンその他で
先端ゆくシンプルかつ大胆な感じ。
その頃流行りの建築家に依頼。

今では空間の狭さを克服するという以上に、
住み手次第で
おしゃれで便利な空間にもなれば、
だらしのない不便な空間にもなってしまうロフトは、
物件価値を高めているとは必ずしも言えないけれど、
ないよりあったほうが収納の問題は片づく。

そして
人によっては、ロフトは
相変わらずありがたい存在、
憧れの居住空間なのである。

思えば80年代は、
ロフトは

「かっこいい居住空間」の要素の一つである、

と言えた時代だったように思う。

最近は何でもデザイナーズになってきて、
賃貸も当たり前にオシャレな物件が増えているが、
増田さんのは階段が広いのに目がいった。

だが、それは錯覚だった。
部屋の幅が狭いらしいのだ。

階段幅をとる側の部屋幅が一間分のだとすると、
図面ではその半分くらいが階段幅にあてられているように見える。
 
内法(うちのり)で階段幅90センチとれていないかもしれない。

っつーか、たぶん、ない☆


手すり付けると有効寸法(内法75センチ)取るのがやっとみたいにならないだろうか。

なのに彼のブログで階段幅寸法を聞いてしまった。
「90センチ以上ですか?」と……orz

狭い…実に狭い。
一方の部屋幅が。
ウナギの寝床で、長方形の長い方の辺は長い。
10メートルないかな。あるかな。
うーん、長いですねぇ。

あの狭さでロフト入れて、三層に……オモシロイ☆

実~にオモシロイ☆


プラン見て、ニンゲンの住みかというより、
スルスル動き回るしなやかな獣のオリを思い出した。

この賃貸は外でテキに囲まれているテンション高い人が、
自らを取り戻すために、自分自身と向き合うような生活がふさわしい。

余分なものを入れずに、自分の本能がチョイスしたもののみ側に置いて…
暮らす。

明日の戦いのために、爪を研ぐ空間としてふさわしいかもしれない。

二階と天窓ロフト部分との関係は、

見る&見られる

自分が自分をみるのである。

住む人次第でまったく違う空間ができると思うが、

どういう風に各空間に役割を持たせて、
空間と空間どうしに
どういう繋がりが生まれて
どういう動線が生まれるか

それによって住む人の行動パターンも決まるし、
部屋の個性も決まってくる。

だが、共通していえることは、
なんだか地下都市の建物みたいだという印象。
シェルターのようで
隠れ家のようで
書斎用のセカンドハウスのようで、
その場合は、都市の閉じたセカンドハウスだ、まるで。

地下に埋め込んでも面白そうな気がする。

内部へ、中心へと下降してゆく感じの賃貸である。


男性向き。
恋人とロフトの天窓から
星を眺めて夜を過ごせる^^

天窓のあるロフトは、
それを使い倒すだけの実力?のある人にとっては
最高に楽しい場所に違いない。

増田政一さんの考える装置は、

同じ場所を何度も回遊して、
広々感を得られるような
アクチュアルなものが多いような気がする。

ゆえに、空間は細かく区切られているようでも
フレキシブルに使えることが前提となっているのではないだろうか。

このデザイナーズ賃貸は…よくわからない。
実物大でないと見えてこないのかもしれない。


そういえば、

この人は、こんな狭い敷地にと思える場所に
かえって、他の広い敷地に生み出された他の空間よりも
空間活用の自由度というか、
活用の幅や広がりを多く生み出す人だと思う。

彼の優れた作品は(と勝手に思っているのは)、
三方を住宅に囲まれたU邸。
どうしようもなく条件の悪い敷地に
よくこんな苦肉の策を…と感動する。

光はさんさんと入ってくるし、
あちこち工夫が細かくされている。
玄関入るとすぐお風呂がある。
無駄の排除。

誰でも考えそうなことに見えるけど、この人はうまくまとめる。
プロなら当たり前なのだけど。

うーん、おさまりよくおさめるというのかな。
なかなかできることではない。

最近いろんな本で紹介されている若手作品がつまらなく思える。

他に、
たてもの探訪の関連本に載ってたM邸が
彼らしいと思える名作?だと思っているが、
カッパドキアの地下住居のようだと感想を書いたことがある。
横に縦に、増田政一さんの住宅の装置は、
するする自由自在に
動線の可能性の触手を伸ばす。

空間の繋がりというより、部屋と部屋との繋がりの可能性とでも言おうか。

このブログの昔の記事にもあるが、
(書庫は【お気に入りの建築家】)
たてもの探訪関連本に載っているM邸は
対角線上に沿って切ったようなカーポートが真ん中にあり、
こまごま部屋数があって、
なんだかねーとはじめはすっとばしていた。

他に見栄えの良い派手で大胆な間取りの家はいくらでもあったからだ。

だが、ある日、ハッ☆と発見した。

その家の面白さに。自由さに。

同様に宮晶子さんも興味がある建築家である。
どうってことないのに…ハッ☆と気付いた。

面白さに気付いてから、
あっという間に十年経っちゃったけどね


話題変えるね。

今日ニュースで、ネットの出会い系で出会った男性から
結婚をちらつかせてお金を引き出し
あげくに殺してしまうなどという疑惑のあった35歳の女が逮捕された。

初めて写真を見たが、「え~!」とみんな驚いたんじゃないか?

よほどコケティッシュな魅力とか、美人であるとかを予想してたろうに、
いたって普通のふっくらしたお姉さんだったから。

まあオデブなのはワタシもなんで
人のことをあれこれ言える立場じゃあないんだけど、

どうしてこんな女に、経験も分別もある男性が
ころっとだまされてしまうわけ?
しかも命がけですよ…?

理解できないよ~


最近のおばさんは、みんな若い。
エージレスの時代なんだなと思う。


また、話題が変わるけど、


父親のことを解けない疑問として、ずっと考えてきたワタシだった。

父親の生き方…

もっともらしいことを言っていても、
結局、根底に被害者意識が根深く横たわっていたり、
独善や自己尊大があったり、
加齢による精神的な劣化であったり、
深いあきらめであったり、
家族への愛という、自己愛と自己保存のための言い訳であったんじゃん…
エトセトラ、エトセトラ……

父親は真に正しいとは言えない生き方だったが、
社会的には正しかったといえる。

でも、どうして人間は自分さえよければいい生き方をしていながら、
そういう自分に気づけなくなるのだろうか。

やはり、子供のためにという生き方に問題があったのではないか?

すでに破綻していた結婚。
だが、力業で結婚生活を持ち上げていた父。

それでも

が忍び寄ってきたのは何故だろうか?
古い家に住んでいたので悪い霊も住んでいた?し、
ワタシはひどい目にあった。

家…


ワタシの人生を狂わせた家。
育った過去を呪っている人はまだ幸せである。
ワタシは未だ判断できないでいる。
あの家はどういう風に、ワタシの人生で位置づければいいのかを。

ワタシは、この

というものの持つ謎を追求してゆくだろう。

もちろん、
自分さえよければという生き方をする人間が
家に絡んでくるので
問題は深刻化するのである。

じゃ、またね♪