少年はバニラ色の空に舞い降りた!?  映画「バニラスカイ」

たぶん再度取り上げる映画かも。

バニラスカイ


トム・クルーズが当時の恋人とカップルで出演している。
アルハンドロ・アメナーバル監督のオリジナルのリメイク映画。

自伝的ロック映画の

あの頃ペニーレインと

の監督キャメロン・クロウが監督した。

ゆえに俳優が一部ペニーレインに出てた人が出ている。

ロックヴォーカリストの俳優は、主人公の親友役に。

マネージャー役の俳優は救命員役に。

うーん、ハマる映画である。

ペニーレインは監督自伝映画。

学校をサボってロックバンドのツアーに付き添い、

音楽雑誌にそのバンドの評論を書くライターをしている中学生。

そんな中学生、普通いるわけがない。

いるわけがないから、映画になる。

実際は、高校生くらいの時期に活動していたというが、

クロウ監督は早熟な十代を生きていたんだなあ。

といっても、熟していたのはジャーナリズムの面だけで、

ツアー中、グルーピーの女の子たちによって
チェリーボーイを卒業したというのは事実?(かどうか不明)

バニラスカイに戻ると、

トムことデイビッドが出会った女性ソフィアとの

幸福な未来は……

嫉妬に狂ったジュリーによって壊される。

すべてに満たされた男性が、
すべてを失い、再生を試みるが

財産は取り戻せても

事故で醜く歪んだ顔面は
以前のような自信と明るさを彼から奪っていた。

再びソフィアと出会っても、
素直な自分が出てこない。

なんだかわかる気がする…切ない。

自分が不安定な状態だと、
自分らしさなんて
どこからも出てこない。

不安や落ち着きのないあせりやいらだち…

同じ苦しみを体験しないと、他人には個人の苦しみは理解できない。

他人にとうてい理解できない苦しみを背負った人間は孤独である。

そういう人をどう励ませばいいのだろう。
そう悩む時がある。

けれど、
私は冷たいのだろうか
自分のことで精一杯だからだろうか

理解などできるわけもないし、
私のことも理解してほしいとは思わないのだ。

だけど…と思う。

それでは一般的ではなく、
変わり者であり、
普通の人間っぽくないような気がする。

プレイボーイだったデイビッドは、
事故で醜く歪んだ顔のままソフィアに電話する時、

初めて好きになった女の子に
告白する少年のようにドキドキしていた。

初々しい…思春期のように。

少年の気持ちを取り戻した?主人公は、
また好きになった女性をストーカーする。

自信がなくなるということは
こんなにも1人の自信満々の魅力的な男性を

オドオドしたみじめな、自分にも周囲にもいらだっている男に変貌させてしまうのだ。

わかる気がする。

年をとるということは、
ひとつまたひとつと魅力を失うということである。

新しい魅力は

人間の内的なものが熟成されてきて
初めて外観に表れるのではないだろうか。

今の私にはないものだ。


最後に主人公は夢の世界で
苦手だった高所恐怖症を克服する。

というか、屋上から飛び降りる。

デイビッドは、神様や生まれ育ちから与えられた
美や財産というものをすべて失って、初めて

彼の本当に求めているものを生きるために
高所から飛び降りる。

夢というのは、この映画では、売り物となっている。

トータルリコール

だと仮の記憶を買うんだけれど、



潜在意識というものが、
どう自分で押さえ込もうとしても
出てきてしまう
というような感じで

たとえばダイエットしようとどれほど決意しようと
ふと甘いモノを手にとってしまうように。

ホントの自我まで、痩せる意志が徹底していないと
痩せられない。


死んで肉体を冷凍保存し、
ついでに思い通りの人生の夢を見続けることができる──

それがこの映画の仕掛けなのだけれど、
記憶はどんなにうまくつくりこんで現実らしく見えようとも

偽りの人生であることに違いないのだ。

潜在意識はうそがつけない。

偽物の記憶をひっくり返す。

そして、
主人公は本当の人生を生きたいと強く願う。

人は外見ではないということ、

本当の人生が
人を愛するということから始まるということ、

私も高所から舞い降りて
砂漠のように枯れた心を
愛で満たしたいと願う。

だけど、そうすると
妬まれた記憶が苦くよみがえり

懐かしいシンデレラ・コンプレックスのテーマが

静かに被さってきた。

バニラ色の空は遙か上空に広がっているのだろう。