因果応報と悪魔

人間の犯す過ちにもそれにまつわるそれなりの現象がつきものであるが。

自分のしたことは、必ず返ってくる。

といわれている。

そういえば
自分の行為が返ってくるまでの時間の長さは
カルマの深さと比例する──なにかの本で読んだことがある。
長くなればなるほど、カルマは深いんだそうだ。


大震災の前後、ワタシは奇妙な体験をした。
当然、霊的なことである。

悪魔の波動だった。


そして原発事故が起きた。
あの響きを察知したのは、私だけではないと思う。

だが、包み込むような天使の波動も感じられた。
戸惑いは消えたが、困惑が残った。


ところで

単純に、悪いことをすれば今度は自分が悪いことを
される側になる、というのは、よく言われることである。

それが

因果応報

という言葉で表現される状態。

良いことをすれば良いことが
悪いことをすれば悪いことが帰ってくるのだ、

自業自得・・・・・

悪いこととわかっていて
やっている人々も多いだろうけれど

きっと、このくらいの事は
人間なら誰でもやっていることだろうと思って
悪いと知りつつやってしまうのだろう。


善悪観

というのは、世の中の常識や時代の変化によって変わるという。

けれども

それは単に理屈というものではないだろうか。
尺度の問題であったり。
視点の問題であったり。

人としての正しいあり方は、人類が始まってからずっと変わらないのではないだろうか。



見えない世界には、何もない訳ではなく
ちゃんと自然の法則が流れているのでは?

仏教的に言うと


こういう法が存在しているといわれている。
いわゆる三宝印である。

これを理解する時
我々の前に、人生が開かれることになるように思う。

心の大切さ

に目覚めることになるからだろう。

不思議なことに
こういった心境に導かれてゆくまでの経過中

偶然

というのが
道標となる経験をしている人々は多いはずである。
もちろん、いろんなケースがあるとは思う。

たとえば

自分で自分のした行為が「悪い」と知っていて
知らん顔している人々や
良し悪しが判断できない人々に理解させるために
偶然が起きる場合もあると思う。

正しく生きようとしていた人々は
その「偶然」に神や仏の存在を感じるのだ。

信仰のあるなしは関係はない。


むしろ、こうした「偶然」が起きはじめることによって
人間は

自分の本来の姿に戻る

きっかけにつながってゆくと思う。
迷いから目覚めるのだ。

大切なものが以前と違ってくるからだ。
モノからココロへと──

これはスタートラインに過ぎないけれど
本当の人生はここから始まるのだと思う。


今回の大地震で感じた
日本という国を食い物にしようとしている
あるいは食い物にしてきた悪魔は・・・・

偶然によって
人間や集団を背後で操ってきたその本性を
少しずつ
我々の前にあらわにしているのだろうか。


どれだけの人々が、集団が
この悪魔に
魂を売り渡していたのだろうか。



(※フィクションとしてお読みください&修正しました)