イエスのみた夢

そういえば、この間、『パッション』を観た。

リアルなイエスの、ゴルゴダへ引きずられてゆく姿は痛々しい。

実はまともに観ていない。ていうか、見れない

だけど、ああいうリアルな
血を流す人間としてのイエスを意識することは

きっと、とても重要なのではないだろうかと思う。


エスは知っていた。
ペテロは自分を裏切ると。

『おまえは三度私を知らないというだろう』

それを聞いても、ペテロは本気にしなかった。

まさか自分が師を裏切るなんて。

だが、師を裏切ってしまうペテロ。

そして、気付かされたに違いない。

逃げようと思えば逃げられたはずのイエス
自ら十字架についた理由を。


『神の子』は、すべてが見渡せたろうし

自分の役割も、後世への影響力もわかっていたに違いない。

当然、弟子たちの内面のありようも。


いかに気付かせるか。
そして、それをいかに後世に伝えるか。
たぶん、そこまで考えていたと思う。


エスは、この世に「成してゆくべきこと」を淡々と実行していっただけ。