欲望の吐け口にした“聖女”が教える、男の「罪と罰」

以前取り上げた、遠藤周作の『わたしが捨てた女』は秀逸の小説だ。

森田ミツがたった一度、抱かれた男を忘れられずにいる一方で

男は、処女の純朴なミツをを騙して性交が終わると、
こんな田舎娘とやるんじゃなかった
とでもいうような後悔を残して、すぐに忘れ去る。

ミツはハンセン氏病の疑いがあり、一度は絶望するが
疑いが晴れても、そのまま療養所に残る。

ミツは男のことをずっと忘れず、ハンセン氏病患者に尽くす。

男のほうは、美人の社長令嬢と結婚し、うまくやったなと自分で思っている。

キリスト教徒の視座から創作されたこの小説は、

最後、ミツの生涯をシスターの手紙で知らされ
男はミツを聖女だと感じて涙を流す。

困った人を見たら、男と会う時着てゆく洋服代をもあげてしまう、
困った人を放り出せない、無垢なミツの最期も無償の愛ゆえだった。

欲望の吐け口にし捨てた女に、自らの罪を気付かされた男。

罪に気付きながらも、平凡な日常を続けることが
男にとって、自分自身への罪の償いなのかもしれない。

しかしながら、彼の気付きが一般的とは考えない向きもある。
ていうか、うーん…(; ̄~ ̄)