『悟り』をめぐるテキトーな雑感(7)イエスから宇宙飛行士まで……生まれる前から予言されていたメシア

精神を向上させようとする人間にとっては
人生はギャンブルのようなものだ。

うまく人生が『悟り』の意思を持った方向へ行くかどうかは、状況次第といえる。

人は、時に、悟るより別の人生を選ぶかもしれないものだからだ。

予定通りうまくいかない場合
次の人生でやり直すことになるだろう。

ところで。

『悟り』には、親が世間から見て個性的だと
悟りづらくなるのではないかと思った事がある。

『悟り』が目的ならば
めんどくさい係累に振り回されるような状況に
生まれては来ないだろうと思う。

そこで、イエス様に思いを巡らせると

諸説あるが、宗教団体エッセネ派が用意した果てに
予定されて生まれ出たメシアとしての説を

私はリアリティを持って、イエス理解の概念として受け入れている。

カルメル山の預言者エリヤの預言を重要視したのではないだろうかとか。

幼児のイエスを連れて、アレキサンドリアに逃げ出た若きマリアと夫や仲間たちが

いかに予言や、昔の預言者の伝えた内容を必要としていたか
…とも考えたりする。

(8)に続く