アメリカ60年代に重なる日本の未来の姿★徴兵制の歪んだ真実……自国を嫌悪する若者達の実感に学ぶ

以前、取り上げた雑誌、新しいのはまだ買っていないが。

●『スペクテイター』のホール・アース・カタログ特集〈前篇〉

[『ホール・アース・カタログ』のできるまで]
という記事(文:赤田祐一氏)を読んでいた。
(p.48~p.63)

時代というものは、事件や出来事などから見えてくる。
ほかに、人々の間に流行った出来事、流行った文化、
話題にされた趣味嗜好、用いられた言葉、売れたものなどからも
背景の思想や潮流などが見えてくるものだと思う。

この記事は『ホール・アース・カタログ』を生みの親
スチュアート・ブランドがいかにして
それを作ったか、その
《発端から現在まで、知られざる歴史をさぐってみた――。》とある。


読んでいるうちに、『ホール・アース・カタログ』の
誕生(1968年)から終了(1998年)までの歴史は
ここ10年のうちに私のなかで崩壊した“自由の国アメリカ”が
実は、50年以上も前からすでに無かったのではないかと気付かされた。

そうか……そうだったのか、と。

どれだけ、米国政府は、若者を戦場に出しているのかと

9.11テロ(?)事件以降の狂気に満ちたブッシュの戦争ごっこ
吐き気とおぞましさを感じていた。

独裁体制そのものの米国は、もはや自由の国ではなくなっていたと。

テロ抑止の大義名分のもとに、少しでも危険な思想の持ち主
だと思われればFBIが来たというから、米国政府の神経質ぶりは異常だったと思う。

侵略としか思えない戦争で、いったい何万人死んだんだ?

そんなふうに腹立たしい思いでいたが、この記事を読んで、
なんて自分は無知なんだろうと思った。
ベトナム戦争では、1965年に米国がベトナム空爆してから
1968年3月の時点で13万人米国人がベトナムで亡くなっているのだ。


また、この記事は、『ホール・アース・カタログ』への興味から外れて
私が現在の日本における状況から湧き上がる
言葉に出来ない疑問や違和感などが
米国の歴史や文化や潮流を読んでいて、
『そうなんだよな、そういうことなんだよ』
と思える内容があり、数日間何となく考えていたのだけれど
結局、新しい発想は何にも浮かばないので、まずは
まとめてみたいなと思った次第。


米国の60年代――米国政府が大規模空爆ベトナム戦争を始めた。
このベトナム戦争のために、米国は徴兵制を施行した。


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★《第2次大戦後から60年代初頭にかけて、
大半のアメリカ人にとって、「アメリカ的生き方」は、
もはや宗教に近いものになっていた。》

第2次大戦後~1960年代初頭の米国の自明な、米国的生き方。

・仕事、利益、物質消費への志向
(クルマ、電化製品)

・媒体による宣伝
(『ライフ』、『タイム』による米国式生活様式
コカ・コーラやビューイック49年型ロードマスターの宣伝など)
人工的で消費生活の降伏を訴えた1950年代の広告の氾濫。

・教育
世の中のすべての問題は、科学的、技術的に、
正確な解答が与えられるものだと信じるような教育。
「ストレート」なことはすべて正しく、
人間の生を向上させるとされた。
気がつくと、宇宙船をとばしたりしていた。


《しかし、60年代に入るころ、ビートニックと呼ばれる人々が、
自分たちが選んでいたつもりのものが、じつは消費社会を
あおりだそうと外部からあてがわれたものだということに気がついた。》


★ヒッピー

「ぼくは見た。
狂気によって破壊された
ぼくの素晴らしい精神を」

《1955年10月、ビートニックの詩人アレン・ギンズバーグは、
ジャズとマリファナに浸りながら「吠える」という詩を書き、
消費を煽り続けるアメリカ政府を批判した。
彼らは人間をその生き方を基準にして二つのタイプに分けていた。
現実の社会のシステムや価値観にかかわって生きている人
たちを「スクエア」、
社会のシステムや価値観の外側を生きていくことにした自分
たちのことを「ヒップスター」と称し、両者を明確に峻別した。
(この「ヒップスター」がのちに「ヒッピー」と呼ばれるようになった)》


★13万人死んでも戦争をやりたがる米国政府

米国は1965年3月、ベトナムへの大規模空爆開始。

18~35歳までの男性国民に徴兵制が施行された。

国内で反戦運動が始まった。

1968年、正月
北ベトナム軍とベトコンによる大規模交戦開始。

負け戦では?との見方の中
同年3月現在で、ベトナムで戦死したアメリカ人は
合計13万人以上。(朝鮮戦争以上)

北ベトナムとの和平交渉は進展せず
政府は戦争を止めないため
若者と市民は疑問を持ち、反戦運動が全国規模へ広がった。

《学生・市民と警官隊が衝突を繰り返し、中にはデモで逮捕されたり、
警棒で頭を殴られて入院する悲惨な体験をした人も少なくはなかった。
70年前後の数年間は、若者たちのアメリカへの嫌悪が
確実に育って来た時期で、ベトナム戦争
犬死にの場にすぎないとの認識が着実に育っていた。》

ベトナムに行くことは死を意味した。
ベトナムで勝利すると考える事など茶番になっていた。》

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このままだと、日本も、戦争を始めた場合、徴兵制が始まるのではないか。

3.11以降、現在まで、狂ってきたとしか思えないわが国の政治は、もしかすると
自らを省みることないまま戦争に突き進むのではないか。

安倍さんのこれまでの「思いきった」といえば聞こえはいいが
独断的な判断でしかない。

あまり利口に見えない政策の背後には
日本に対して領土狙いなどで挑発してくる話の出来ない
ネガティヴな国々などに対しての牽制があると思っていたが
どうやら狙いは違うようだ。
ようやく見えてきた気がする。

今のままだと、日本人が論理力に弱いのをいい事に、
『戦争に行かなきゃ死刑』な世界観を安倍さんが
「国民のために」などと欺きながら
国民の支配へと着々と歩みを進めてしまうだろう。

いつだったか、『愛国心』という言葉を、安倍さんが出した時
なんなんだ?この人は……歴史がわかっているのか?
アタマ、大丈夫か、と思った。

何かに誘導されているのだろうか。
でなければ、独裁政治を目指しているとしか思えなかった。

何かにやられている感じがしている。
それは日本そのものも、同じである。

自分を客観的に見ているもう一人の自分から
安倍さんは冷静に見つめる時間を持つ余裕があるのだろうか。

我々はなかなかやられている事に気付けないものだ。

愛国者の多い米国と違い、日本は愛国者になりにくい教育だったと思う。
外付けで愛国心とか思想を重要だと安倍さんに言われてもね。

たとえば、なぜそれが必要なのか、それがどんな意味があるか
説明をしなければ、納得できないだろう。
日本のデタラメな歴史から、愛国心が生まれるとしたならば
カルト思想か、カルト宗教にしかならないだろうに。


『我々はお国のために喜んで戦争に行きます』
と言わなきゃマズイ状況になるようなところに行くまで
国民には迷惑をかけませんとか、国民のためだとか
白々しく国民を騙し続けるつもりなんだろうけれど。


戦争をさせるのは、国の身勝手さとか、国や企業の金儲け、経済的理由からではないのか。

拝金主義はやめてくれ

国家間の争いやもめ事に、安倍さん、あなたは
国民に不安と不快感を与えるばかりではないか。

愛国心のほか、道徳心も大切と言いながら、
安倍さんは武器を売る。

その武器はどこで使用されるのか?
何のために使用されるのか?
使用したら、された側はどうなるのか?

どの面下げて『道徳大事』なのか。

我々は地球上の見知らぬ仲間に対して、
間接的にでも傷付ける行為は許されないと思う。


日本は安倍さんになってから、落ち着く暇もなかった。

未知への可能性に期待させられ
未来の見えないジェット・コースターに
安倍さんと共に国民は乗り込んだようなものだったのかもしれない。

結果として、やはりというか、某元総理は無能・鉄面皮と言われたが
どこに行き着くのかわからなかったから文句も言えたが

今回は、もはや行き着く先は、間違いなく樹海のような気がしてきた…


政治家は国民の代表者として
人間本位の尺度でまつりごとをしてくれると
お人好しに信じていた日本国民。

でも違っていた。

政治家の質は、間違いなく落ちてきたとはよく聞く。
それは陰謀的な働きも背後にはあるのかもしれないが。

しかし、確かに政治家達のなかには、即物的で非常識極まりない言動を
外界に対して発している自覚がないような人々がいる。

魔が差した自覚がない政治家が沢山いるのではないか。

国民の生活感覚から乖離してしまったというか…

そりゃ平和な世界は経済的な安定なんだけど、
消費税は絶対上げてはならなかったはずだ。
政治家は当然のように上げたけれど。

もはや、そこの一点だけで、経済の先行きは
致命的なのだと気付ける訳もないのか。

現状維持であれば
そこに新たな生成は起こらず
循環もしない。
循環しない水は汚れるように
精神はよどんでゆくだろう。

今や国家の常識は

『国民の命より国家が上』

だと思われる。

これは間違っていると思う。

あまりまともな政治家はいないから、仕方ないけれど。

日本人は目を醒ますしかない。

けれども、どうやって?

『ホール・アース・カタログ』を読みながら、そんな事を考えていた……

忘れてはならない。

日本に徴兵制が施行されれば、アメリカの60年代と同じように
沢山の日本人が戦場で亡くなるのは、現実となるのだ。


戦争に行くより、世界中に
平和の有り難さを伝える国であるほうがよくないか?

日本にはそれが求められていると思う。