ウディ・アレンとトリュフォーとエドワード・バーンズの描く世界は無意味?

(続き)

アニーは、勇気に富んだ行為に次々と目覚めてゆく。

離婚を決意したアニーが、
「あなたのナニは大きいとは言えないわ!」
夫にそれを口にした時、自分の殻をうち破ることになるのだ。

複雑な恋愛模様が描かれているが、共通しているのは、どの人物も別れを経験していること。
そして、次の相手や状況を、自分の意思で選んでゆく。
他人任せにしている人などいない。
言行不一致の下半身男?べンですら、失敗を繰り返しながらも、自分にとっての
幸福を探っているのだ。みな、出会いに対しては、貪欲に自己中心的だ。いい意味で。


パンクロッカー役の傍役の役者が、ウオール街のエリート役と、
二役を演じ分けていることを、監督の音声解説で知った。

DVDの面白さは、そういったエピソードを、監督自ら、語ってくれることだ。
撮影許可なく、しかもニューヨークの街灯だけで撮影したシーンも多いとか。
どこでもそのまま絵になるニューヨーク。

彼は、ウディ・アレントリュフォーに影響を受けたという。(わーい、ヤッパリ(*^O^*)
彼らの映画は、ニューヨークでは意味がないと思われてるらしいケド。(なぜ?)

でもバーンズは、なぜ人は愛を求めるのか、人生の伴侶を見つけることは
いかに難しいか、そういったことをこの映画で描きたかった、と解説で言っていた。
それらは、人生で語られるべきことだとも。

正真正銘のニューヨーカーが、脚本、監督、役者の三役こなし、17日間で効率良く
創った低予算実験的映画。役柄に合った役者を配し、それぞれが「演じること」に徹した作品。
ブリタニー・マーフィが可愛い。