現実的にスピリチュアルを生かすチャレンジャーな友達の話 スピ(4)

スピリチュアル系ブログの多さへの雑考(3)の続きになるんだけどね、
精神的に深いことを話すある友達とは、心や、癒しの話題はすることはするけれど、
いろいろお茶しながら、たいてい「うちら、宗教はいらないねー」で終る。(笑)
話していることが、すでに信仰臭いからかもしれない。(^^;)
西欧のキリスト教や信仰者の話題が最近は多いかも…。

あ、わかった!(^O^)

なぜ、その友達とは話題が、今でいうスピリチュアルなことが多いのに、
そういった内容のブログの多さに、違和感を覚えるかの理由がわかったよ。
今思ったけど、たぶん、現実とリンクしていない話題が、ネットの情報には
多いという印象を、私が持ったからではないだろうか。
(もちろん、そういうのは一部だと思うのだけど。今はこういう印象…)

友達は徹底して、現実的な人間である。
天使や、聖者やキリスト教や、教会の話をするけれど、たとえば教会なら、
本当に自分が現地で見てきた教会の話をする。
書物や実際の体験を人から聞いても、生活に生かそうとする。
挫折を繰り返し、壁にぶつかり、その時その時の判断を選び、内省し、
過った考え、思いを正す。
自分に厳しすぎて、こちらが「う~ん」とあきれて思う時もあったほどだ。

夢でメシは食えない、ということを身を持って知っている。
なのに、仕事は夢を与えるような美しい仕事だから、不安定だ。
けれども、広い範囲に知人がいる友をうらやましく思う。

さて、
実際、プラス志向な考え方は自分を助けるし、仲間もできるだろう。
自分に合った人を引き寄せ、ほのぼのした関係を作れる。類は友を呼ぶだろう。
その時、本人は救われる。しかし、ここからが問題なのだ。
いったん救われたら、霊的なものに執着しがちな人間が多いのではないだろうか。

もちろん段階はあるだろうから、一概には言えないけど、とりあえず、気持ちが
楽になったら、見えない世界に感謝して、まず一度現実に戻るべきではないだろうか、
というのが私の考えである。