「五十嵐淳展 状態の構築」 TOTOギャラリー間 プロセスを自覚する傍観者
五十嵐淳展 状態の構築
昨日行ってきた。
今日までだったんで焦った、焦った。
5月からやってるんだけど、体調が問題だった。
ギャラリー間は10年前はよく行った。
ていうか、GAギャラリーとごっちゃになってるかも。
両方よく行ったから。
5月からやってるんだけど、体調が問題だった。
ギャラリー間は10年前はよく行った。
ていうか、GAギャラリーとごっちゃになってるかも。
両方よく行ったから。
真っ暗な宇宙空間に身を置き、定点を求めながら
設計活動を10年おこなってきた五十嵐淳氏。
選ぶと選ばざるとにかかわらず
北海道を中心に活動せざるをえない状態からと
自分なりの方法と経験で生まれた定点──
設計活動を10年おこなってきた五十嵐淳氏。
選ぶと選ばざるとにかかわらず
北海道を中心に活動せざるをえない状態からと
自分なりの方法と経験で生まれた定点──
少しずつ変化を感じてくれたらとこの作家は言うが
はじめて見た人には、サッパリである。
馴染むのにちょい時間がかかる。
はじめて見た人には、サッパリである。
馴染むのにちょい時間がかかる。
好きな作品は
・「間(あわい)の門」(2008)
・「House 0」(2009)
・「間(あわい)の門」(2008)
・「House 0」(2009)
理由は美しいから。
かたちに意味があるのだろうか。
あるとすれば、ほぼ世間の美意識や常識ではないだろう。
あるとすれば、ほぼ世間の美意識や常識ではないだろう。
形と形をつなぎ、なかをくりぬく。
奇妙な建築が北海道にいくつか生まれて
見るものにいろんな感情を抱かせる。
奇妙な建築が北海道にいくつか生まれて
見るものにいろんな感情を抱かせる。
醜くもなく、美しくもないかたち。
それらは未だ未分化のまま
風に吹かれさらされた
認識のかたちではないだろうか。
風に吹かれさらされた
認識のかたちではないだろうか。
屈折したかたちのつながり。
意図的であることで
状態の傍観者となる自己が
そこにいることになるのだ。
状態の傍観者となる自己が
そこにいることになるのだ。
<あたり前だが、建築物は土地に定着している。そして、その場のすべての「状態」を等価に扱いながら設計していく。僕も、この基本的な方法により、10年間、建築を作り続けてきた。それは「定点」を探す作業であったといえる>
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メチャカワイイ、ビーチ・サンダルのお店があった。
意外に好みのシャツ売ってるお店もチェックできた。
最近、タイムセールによくゆきあう。
だけど、気にいったものはなかなかないなあ。
意外に好みのシャツ売ってるお店もチェックできた。
最近、タイムセールによくゆきあう。
だけど、気にいったものはなかなかないなあ。
ホントはもっとあちこち行きたい・・・・・大震災で体調が
、、、、、orzでなければなあ。
、、、、、orzでなければなあ。
こういったものに触れる時。東京はいいなと思うけど・・・
あとは・・・・うーん・・・・ねぇ・・・・orz
あとは・・・・うーん・・・・ねぇ・・・・orz